社会の変容
- 農村内の階層分化
- 豪農:地主手作をおこなう一方、小作料を取る
- 小百姓:小作人、年季奉公、日用稼ぎに従事 → 豪農と小百姓らの対立 → 村方騒動
- 都市の変容
- 三井などの豪商の出現
- 問屋制家内工業の展開
- 周辺農村から都市への人びとの流入 → 地借や店借・奉公人の増加、棒手振・日用稼ぎなどに多くが従事、零細な棟割長屋に多くが住居
社会の変容
社会の変容(江戸時代)
農村内の階層分化 | 豪農:地主手作をおこなう一方、小作料を取る 小百姓:小作人、年季奉公、日用稼ぎに従事 → 豪農と小百姓らの対立 → 村方騒動 |
都市の変容 | 三井などの豪商の出現 問屋制家内工業の展開 周辺農村から都市への人びとの流入 ・地借や店借・奉公人の増加 ・棒手振・日用稼ぎなどに多くが従事 ・零細な棟割長屋に多くが住居 |
18世紀の後半は、幕藩体制の大きな曲がり角となった。幕藩体制の基礎である村と町は、大きく変容し始めた。
農村
農村では、享保の改革以後の年貢増徴策により、小百姓たちの生活は強く圧迫された。一部の有力な村役人などは、年季奉公人を使って2〜3町歩に及ぶ田畑を耕作する地主手作を行い、商品生産と流通の中心的な担い手となった。また彼らは、困窮して年貢を納められない百姓に田畑を抵当にして貸付けを行い、借金を返済できない質入れ人から質流れ(流地)というかたちで田畑を村の内外から集め、その田畑を小作人に貸して小作料を取り立てる地主にも成長し、豪農と呼ばれた。ー方田畑を手放した小百姓たちは小作人となるほか、都市や農村の年季奉公や日用稼ぎなどに従事して賃金を得て生活を維持し、いっそう貨幣経済に巻き込まれるようになった。
こうして、農村ではそれまでの自給自足的な経済のあり方が大きくかわり、本百姓を中心として成り立っていた村は、百姓層の分解によりその構造を大きく変動させた。その結果、小作人は地主である豪農に対して小作料の引下げを要求し、小百姓らは村役人でもある豪農の不正を追及し、村の民主的な運営を要求するなど、豪農と小百姓や小作人との間の対立が深まり、村方騒動が各地で多数おこるようになった。年貢以外に課される諸役や村入用の負担の割合、年貢減免分や領主からの貸付米金の配分などをめぐり、村役人の不公平さや不正を追及するというかたちの騒動が多発した。この村方騒動の結果、それまで何代にもわたって世襲的に村役人をつとめてきた家にかわって、小百姓たちの支持を受けた者が村役人に就任したり、なかには村役人の選挙制が生まれるケ一スも現れた。
都市
都市の経済活動は仲間の公認などもあって、商品流通や金融などの面で、もはや幕府や藩の力では左右できないほど自立的で強固なものへと成長していった。問屋商人の商業・金融網は全国に及び、なかでも近江・伊勢・京都出身で呉服•木綿・畳表などを扱う商人たちは、両替商も兼ねて、三井家のように三都や各地の城下町に出店をもち、大規模に店舗経営を展開する者も現れた。また、都市の問屋商人は農村部に資金や原料を前貸しして、できた商品を安定的に集荷するだけでなく、なかには生産そのものに関与し、問屋制家内工業に組織する動きも現れてきた。
また、問屋·仲買と小売商人とが取引する卸売市場が各地で発達し、農村での生産物を都市に供給する心臓部としての役割を果たした。大坂では堂島の米市場、雑喉場の魚市場、天満の青物市場、江戸では日本橋の魚市場、神田の青物市場などが有名である。
町
村だけではなく、町も大きく変容した。とくに三都や城下町の中心地では、大商人などが町屋敷を買い集めたため、町内に住む家持町人が減少し、住民は地借や店借・商家奉公人らが多くなった。そして町内の裏長屋や場末の地域には、農村部から出稼ぎなどで流れ込んできた人々や、行商などの小売、職人仕事、日用稼ぎで生計を立てる貧しい民衆が多数住んだ。これらの都市民衆は「其日稼ぎ」と呼ばれ、「九尺二間」といわれる狭い長屋に住み、わずかな収入でどうにか暮らしていたので、物価の上昇や飢饉・災害にあうと、たちまち生活が成り立たなくなった。