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A.D. 794
平安時代 (794年〜1185年)
日本歴史の時代区分の一つで,古代の最終期。都が平安京に定められた延暦13(794)年から源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約400年間をいう。政治史からみれば,前期,中期,後期の3期に分けられる。
前期は奈良時代に一応完成した律令制度を基本に,これに修正を加えながら維持しようとした時期で,律令についての施行細則である式が編纂され,その代表的なものが延長5(927)年に完成した『延喜式』である。その補足改訂のために発せられた法令が格で,それを集成したものが『類聚三代格』である。後世,「延喜・天暦の治」と称される醍醐,村上の両天皇の治世はこの期の最後を飾るものであった。
中期は,藤原氏が摂関政治を行なった時期で,藤原氏は天皇幼少のときには摂政,天皇成人ののちには関白となり政治を壟断したが,そのためには娘を後宮に入れて皇室と外戚関係を結び,他氏を排斥し,一家の繁栄をはかるのみで,政治は停滞をみた。
後期は上皇(太上天皇),法皇による院政の時代で,院政政治も国家社会に対する関心は浅く,一部の利益を追求する点では摂関政治と変らなかった。経済の面からは律令に基づく班田制がくずれ,荘園制度に移行してゆく時期で,中期の摂関政治,後期の院政はこの荘園制を基盤として成立したものであった。[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2016]
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