ビザンツ文化
ヘレニズム文化を基調にギリシア・ローマの古典文化とオリエント(西アジア)の文化を融合した独自の文化を形成した。イスラームをとおして12〜13世紀の西ヨーロッパにおける学問の発達(12世紀ルネサンス)を促し、イタリア・ルネサンスの開花にも影響を与え、西ヨーロッパと異なる独自の東ヨーロッパ文化圏を形成した。帝国滅亡後、その帝国理念や宗教はロシアにうけつがれる。
ビザンツ文化
ビザンツ文化の特色は、ヘレニズム文化を基調にギリシア・ローマの古典文化とオリエント(西アジア)の文化を融合した独自の文化を形成したことである。
学問
学問の分野では、古代ギリシア・ローマの遺産の上に、実証的・客観的な歴史叙述を重視したプロコピオス(500〜562)や、プラトン哲学から神学・法学・自然科学まで広く古典文化の復興をはかったミカエル・プセルロス(1018〜1078)を生んだ。
美術
しかし、ビザンツ文化としては特に名高いのは美術の分野である。ビザンツ美術はキリスト教美術のひとつとして、教会建築と聖堂内壁のモザイク画(材料には七宝や色ガラスを使用)、イコン(聖画像)などに独自の発達をみた。
初期のビザンツ美術は、東方の影響で神秘性がこく、6世紀のユスティニアヌス1世の時代に成熟を遂げた。代表的な教会としては、首都を威圧する大円蓋(ドーム)式バシリカ建築のハギア・ソフィア聖堂や、内部の宗教画モザイク装飾の美しいラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂などがある。
ビザンツ美術は、8〜9世紀には聖像禁止政策の影響で一時衰退するが、マケドニア朝・コムネノス朝のもとで再興した。この11〜12世紀が、中期ビザンツ美術の全盛期であり、建築様式ではギリシア十字(正十字)形プランが主流となった。代表的なものに、アテネ近郊のダフニ修道院、パトモス島の聖ヨハネ修道院などがある。また内装のモザイクも、キリストの生涯の史伝に基づく十二祭礼からなる装飾体系が完成した。ビザンツ文化は、ギリシア正教の布教や交易をつうじて周辺地域にも波及し、各地にビザンツ式の教会建築やモザイク壁画を生んだ。11世紀に改築されたヴェネツィアのサン・マルコ聖堂、同じころキエフ公国のヤロスラフ1世により建立された聖ソフィア大聖堂(キエフ)などが有名である。
ビザンツ文化の歴史的意義
- 第1にギリシアの古典をよく継承・保存したことである。それは、イスラーム世界に伝えられるとともに、イスラームをとおして12〜13世紀の西ヨーロッパにおける学問の発達(12世紀ルネサンス)を促し、さらにイタリア・ルネサンスの開花にも影響を与えた。
- 第2に、東ヨーロッパ一帯に広がっていたスラヴ諸国にギリシア正教とビザンツ文化を伝えることにより、西ヨーロッパと異なる独自の東ヨーロッパ文化圏を形成したことである。とくに帝国滅亡後、その帝国理念や宗教はロシアにうけつがれ、ロシアは第三のローマとして東方正教会の中心を担うことになる。