仏教の新展開
西暦紀元の前後ころ、自己の完成(解脱)をひたすら求める伝統的な仏教を独善的な小乗と批判し、自分たちの立場を大乗と称す大乗仏教がおこった。
自分を犠牲にして他人のためにつくす菩薩行を重視し、また諸仏・諸菩薩を拝することによって僧俗に関係なく救われると主張した。
仏教の新展開
西暦紀元の前後ころ、伝統的仏教に対する革新運動として大乗仏教がおこった。この運動を進めたものたちは、自己の完成(解脱)をひたすら求める伝統的な仏教を独善的な小乗(劣った乗り物=狭い救済の道)と批判し、自分たちの立場を大乗(大きな乗り物=広い救済の道)と称した。そして自分を犠牲にして他人のためにつくす利他行(菩薩行)を重視し、また諸仏・諸菩薩を拝することによって僧俗に関係なく救われると主張した。大乗仏教はこのように民族や階級に関係なく広く受け入れられる内容をもっていた。この仏教の教理の大成者は「空」の思想を確立したナーガールジュナ(龍樹)(150〜250)である。
初期の仏教徒はブッダを像に表現することを避けたが、1世紀末ころ西北インドでヘレニズム彫刻の技法と造形思想の影響をうけて、仏像・菩薩像が刻まれ、仏像崇拝が始まった。この造形美術は誕生の地の名にちなみガンダーラ美術と呼ばれている。
この美術の影響は、インド本土はもとより、仏教の伝播に伴い、中央アジア・中国・日本にまでおよんだ。
北伝と南伝
大乗仏教は南インドや東南アジアにも伝わったが、主として中国・朝鮮・日本・チベットなどで栄えたため北伝仏教(北方仏教)とも呼ばれる。これに対し、小乗仏教の部派のひとつ上座部仏教は主として南方に伝えられたため南伝仏教(南方仏教)と呼ばれ、スリランカ・ミャンマー(ビルマ)、タイ・カンボジアなどの仏教がこれに属する。
北方仏教徒がサンスクリット語で経典を編集したのに対し、南方仏教徒は北インドの口語に起源するパーリ語で書かれた経典を伝えている。なお「小乗」という呼称は軽蔑の意味を含むため好ましくない。便宜的に使われているが、正しくは「部派仏教」「上座部仏教(上座仏教)」などと呼ばれるべきであろう。
マウリヤ朝崩壊後の4〜5世紀の間に、バラモン教と土着の宗教とが融合したヒンドゥー教の形成が徐々に進行した。ヴァルナ制度のもとで生活する人々の義務を定めた『マヌ法典』が編まれたのもこの時代である。マヌは人類の始祖とされる聖人の名であり、この法典に権威を与えるため彼の名が冠せられた。
ヴィシュヌとシヴァ
混合宗教であるヒンドゥー教の特色は、最高神のヴィシュヌとシヴァによく示されている。ヴィシュヌ神はヴェーダの宗教では太陽神のひとつにすぎなかったが、ヒンドゥー教では宇宙を創造し保持する神、慈悲の神徒される。また多くの名で呼ばれるが、これは地方的に信仰を集めていた神がヴィシュヌ神と同一視された結果である。この神はまたさまざまな姿をとって地上世界を救うとみられていた。そうした化身のなかには他民衆の信仰を集めていたクリシュナ神、『ラーマーヤナ』の英雄ラーマがおり、仏教の開祖ブッダまでが化身のひとりとされている。これらの神々に祈りを捧げることはヴィシュヌを拝むことになるのである。
一方のシヴァ神は、宇宙を破壊する凶暴な神であるとともに、宇宙を創造する神、慈悲深い神でもある。
また踊る神、芸術の神であり、苦行する神、獣類の神でもある。すでにインダス文明の印章にシヴァ神の原型とみられる神が彫られているが、ヴェーダの宗教の爆風神ルドラと同一視されることによって、アーリア民族の宗教の中に取り込まれ、やがてヒンドゥー教の最高神の地位を獲得したのである。またシヴァ神は多数の親戚をもつ神として知られる。地方的に信仰そ集めていた神々が親族というかたちでシヴァ信仰に取り込まれたのである。後世には、シヴァ神とヴィシュヌ神を同一視する一派まで現れている。さらに第3の最高神ブラフマー(世界創造の神)とヴィシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)の3神を一体とみる信仰も存在する。