イスラーム文明の特徴
イスラーム教は民族による差別を否定し、信者の平等を説く。この世界宗教としての普遍性ゆえに、イスラーム教は多くの人々に受入れられ、やがて各地の地域的・民族的文化の特色も加味して、イラン・イスラーム文明、トルコ・イスラーム文明、インド・イスラーム文明が形成された。
イスラーム文明の特徴
イスラーム帝国は、古代オリエント文明やヘレニズム文明など、古くから多くの先進文明が栄えた地域に建設された。そこに生まれたイスラーム文明は、征服者であるアラブ人がもたらしたイスラーム教とアラビア語を核とし、征服地の住民が祖先から受け継いだこれらの文化遺産を母体として形成された融合文明である。
アラブ文学の傑作とされる『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』も、インド・イラン・アラビア・ギリシアなどを起源とする説話の集大成であり、諸文明の融合ぶりをよく示している。
イスラーム教は民族による差別を否定し、信者の平等を説く。この世界宗教としての普遍性ゆえに、イスラーム教は多くの人々に受入れられ、やがて各地の地域的・民族的文化の特色も加味して、イラン・イスラーム文明、トルコ・イスラーム文明、インド・イスラーム文明が形成された。モスク建築を例にとれば、礼拝の場としての機能は全てに共通しているが、建築様式や壁面の装飾にはイラン・トルコ・インドなど各地に固有な文化の伝統がいかされた。地域や民族の特色を残しながらも、諸地域に共通する普遍性を備えていたことが、イスラーム文明の大きな特徴であろう。
『千夜一夜物語』
起源は、ササン朝時代にパフラヴィー語で書かれた『千物語』。これはインド説話の影響を強くうけ、ひとつの枠物語の中に多数の説話が挿入されていた。8世紀後半に、バグダードでアラビア語に翻訳され、イスラームに固有な物語が付け加えられた。『千夜一夜物語』と呼ばれるようになったのは、12世紀の頃である。バグダードの焼失(1258)後は、カイロでさらに多くの物語が加えられ、マムルーク朝の滅亡(1517)時ころまでに、ほぼ現在の形にまとめられた。多数の著書の手をへてつくられ、原作者は不明である。日本には、1875年に英訳からの重役によってはじめて紹介された。
またイスラーム文明は本質的に都市の文明であった。これは、古代オリエント時代以来、西アジアでは古くから都市文明が栄え、しかもイスラーム教自体が商人の町メッカに誕生したことによっている。学問の研究や教育は都市を中心に行われ、商人によって運ばれた外来の商品や農村からの富は都市に集中された。イスラーム教徒として文化的な生活をおくることは、都市に生きることにほかならなかったのである。
このような都市文明の担い手は、商人や手工業者であり、文学の重要なジャンルであった詩や説話文学には、彼らの生活や意識が反映している。また学問や文学・美術などの文化活動を保護したのは、カリフやスルタンをはじめとする都市の権力者・富裕者であった。アッバース朝治下のバグダードやマムルーク朝治下のカイロでは、宮廷文化が花開き、多くの学者や文人が権力者の保護をうけて活躍した。