スペインの植民地経営
ヨーロッパ人が「文明」「理性」に対置して「野蛮」とみなす地域を植民地として支配し、「野蛮」な住民を統治・支配するのは当然という独断は、以後も長く欧米一般人の意識を支配してきた。アジア・アフリカにおける植民地支配、アメリカ合衆国のインディアンの扱いにもそれがよく表れている。一部の知識人を例外として「野蛮」な「先住民族」の権利をも尊重しようという意識はそう一般的なものではなかったのである。
スペインの植民地経営
西インド諸島で新しい領土が獲得されると、スペインは商務省をおいて植民地貿易を王室の独占的支配下においた。エスパニョーラ(現在のハイチ・ドミニカ)・キューバなどではプランテーション経営(大農場経営)による砂糖生産が始められ、過酷な扱いで人口の激変した先住民にかわり、アフリカから黒人が奴隷として連れてこられた。
メキシコ・ペルーの征服は莫大な金・銀・宝石類をスペインにもたらした。アステカ帝国やインカ帝国から略奪された金・銀が大西洋を越えて本国に運ばれ、その5分の1は国王に献上された。1545年、ボリビア高地のポトシで無尽蔵の銀鉱脈が発見され(ポトシ銀山)、インディオの強制労働により安価な銀が大量に採掘された。以来、アメリカ大陸から大量の銀がヨーロッパに流入した。16世紀末までにヨーロッパに運ばれた銀は、2万トンに達したと見積もられている。通貨としての安い銀がヨーロッパの物価を高騰させ、経済に大きな影響を与えた。南ドイツの銀山を経営していた大富豪や、地中海貿易で活躍していた南ヨーロッパの商業資本は没落をはやめた。
スペイン本国には国王直属のインディアス評議会がおかれ、アメリカ大陸の植民地の裁判、役人・聖職者の任命もおこなった。植民地ではアウディエンシアと呼ばれる統治期間が行政を担当した。植民者は、エンコミエンダ制により、征服地の土地・住民の統治を委託され、先住民を強制労働にかりだした。西インド諸島・アンデス地方・メキシコなど各地において先住民は酷使・虐待され、またヨーロッパ人がもちこんだ疫病などで、急激に人口を減らした。先住民の惨状をみたドミニコ派修道士バルトロメ・デ・ラス・カサス(1474〜1566)は国王に報告書を送り、エンコミエンダ制廃止を訴えた。
スペインが新大陸を植民地として領有したのち、「先住民」の取り扱いをめぐって、いわゆるアリストテレス論争がおこった。入植者たちは先住民を奴隷的使役を合理化するために、アリストテレスの権威をかりた。インディオは「野蛮人」でアリストテレスの政治学にあるように他人から支配され、統治される必要がある奴隷としてつくられた存在である。それに対してスペイン人は政治生活や文化生活をするようにつくられている。したがって、インディオが奴隷とされるのは当然というのである。一方、ラス・カサスは『インディオを弁ず』でインディオの社会を分析し、彼らも組織的国家もつくっていることで、インディオは完全に理性的存在であり、自治の能力を有し、キリスト教徒に改宗させることも可能とし、インディオの権利を弁護した。彼らが「野蛮」出ないことを例証しようとしたのである。ミシェル・ド・モンテーニュは『随想録』のなかで「すべての人間は、自分とやり方が違えば、これらを野蛮という」と述べている。
ヨーロッパ人が「文明」「理性」に対置して「野蛮」とみなす地域を植民地として支配し、「野蛮」な住民を統治・支配するのは当然という独断は、以後も長く欧米一般人の意識を支配してきた。アジア・アフリカにおける植民地支配、アメリカ合衆国のインディアンの扱いにもそれがよく表れている。一部の知識人を例外として「野蛮」な「先住民族」の権利をも尊重しようという意識はそう一般的なものではなかったのである。
ラス・カサスの伝えるスペイン人の残虐行為
バルトロメ・デ・ラス・カサスは1552年『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を印刷公刊し、そのなかでキリスト教徒のスペイン人のアメリカ大陸先住民に対する非道な所業を詳述している。「非道で血も涙もない人たちから逃げ延びたインディオたちはみな山に篭ったり、山の奥深くへ逃げこんだりして、身を守った。すると、キリスト教徒たちは彼らを狩り出すため猟犬をどう猛な犬に仕込んだ。犬はインディオをひとりでも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした。犬は豚を餌食にするよりもはるかに喜々として、インディオに襲いかかり、食い殺した。こうして、そのどう猛な犬は甚だしい害を加え、大勢のインディオを食い殺した。
インディオたちが数人のキリスト教徒を殺害するのは実に稀有なことであったが、それは正当な理由と正義にもとづく行為であった。しかし、キリスト教徒たちは、それを口実にして、インディオがひとりのキリスト教徒を殺せば、その仕返しに百人のインディオを殺すべしという掟をさだめた。」
インディアスとは当時スペインが征服した西インド諸島、中央・南アメリカなどの地域を総称したもので、その地域の先住民はインディオと呼ばれた。
近代ヨーロッパの成立年表
イタリア・ルネサンス(14〜16世紀) | |
1450頃 | ヨハネス・グーテンベルク、活版印刷技術発明 |
1488 | バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達 |
1492 | スペイン、グラナダを占領(レコンキスタ完了) |
クリフトファー・コロンブス、アメリカに到達 | |
1494 | トルデシリャス条約(スペイン・ポルトガル) |
1495 | レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」制作(〜1498頃) |
1498 | ヴァスコ・ダ・ガマ、カリカットに到達 |
1517 | マルティン・ルター、九十五カ条の論題発表 |
1519 | フェルディナンド・マゼランの部下、世界周航(〜1521) |
1521 | エルナン・コルテス、アステカ帝国征服 |
イタリア戦争(第三次イタリア戦争 〜1526) | |
1524 | ドイツ農民戦争 |
1529 | オスマン軍の第一次ウィーン包囲 |
1533 | フランシスコ・ピサロ、ペルーのインカ帝国征服 |
1534 | 国王至上法発布(イギリス国教会成立) |
イエズス会設立 | |
1541 | ジャン・カルヴァン、ジュネーヴ市政掌握 |
1543 | ニコラウス・コペルニクス『天球回転論(地動説)』刊 |
1545 | トリエント公会議(〜1563) |
16世紀後半、価格革命おこる | |
1555 | アウクスブルクの和議(ルター派の信仰認められる) |
1558 | エリザベス1世の即位(〜1603) |
1559 | カトー・カンブレジ条約(イタリア戦争終結) |
「新大陸」経営
メキシコやペルーを征服し多量の金・銀を略奪したスペイン人は、大鉱脈が発見されると鉱山、とりわけ銀山の開発・経営に乗り出した。「新大陸」の鉱脈は豊かで高度な技術も安全を確保する施設も必要なかったため、採掘のための費用はほとんどかからなかった。労働力は非常に安く、また豊富であった。初めはエンコミエンダ制による先住民インディオの強制労働によってただ同然にまかなわれた。鉱山に送られたインディオが何ヶ月も生き延びることはめったになかったという。