民衆の文化
一般の民衆の間では知識人の文化や豊かな市民の生活文化とは別に、伝統的な慣習や儀礼を中心にした特有の生活文化が生きていた。民衆が「正義」と考える行動様式が守られないと、暴動や「打ちこわし」をおこない、民衆の仲間うちで慣習が破られると、公的な裁判よりは、仲間うちの制裁で処罰した。密輸や飲酒の習慣など、伝統を守る民衆の日常行動や文化は、支配階級の近代的で資本主義的な考え方と対立することが多くなった。
民衆の文化
しかし、一般の民衆の間ではこうした知識人の文化や豊かな市民の生活文化とは別に、伝統的な慣習や儀礼を中心にした特有の生活文化が生きていた。なお読み書きのできない人が多かったから、そのほとんどは口伝えの文化である。
穀物取り引きなどを中心として、民衆が「正義」と考える行動様式(「モラル・エコノミー」)が守られないと、彼らは暴動や「打ちこわし」をおこなった。産業革命時代のラダイト運動はその一環であると考えられている。民衆の仲間うちで慣習が破られると、公的な裁判よりは、仲間うちの制裁(「シャリバリ」「ラフ・ミュージック」などという)でこれを処罰した。社会的・宗教的な混乱が続いた16〜17世紀には、イギリスなどプロテスタントの国で、不安を抱いた民衆による「魔女狩り」が流行したのも、こうした民衆の生活文化の一部である。
とくにイギリスでは、17世紀ころから狩猟法が強化され、野生の小動物の多くがジェントルマン階級の趣味である「狩猟」の対象とされ、一般民衆による狩猟が禁止された。しかし、猟に生活のかなりの部分を頼っていた民衆はこれを無視したため、大きな社会問題となった。このほか、密輸や飲酒の習慣など、伝統を守る民衆の日常行動や文化は、支配階級の近代的で資本主義的な考え方と対立することが多くなった。とくに、イギリスでいうエールハウス(現在のビアホール)やパブ(居酒屋)などでの飲酒や熊いじめなどの残酷な見世物、ギャンブルなどは、支配階級からは厳しく批判されたが、民衆は容易にこれを捨てなかった。
ジンと飲茶の習慣
18世紀のイギリスでは、豊作つづきで穀物の価格が下がったため、ロンドンなどの大都市の下層民の間では、これを原料とする強いアルコール性飲料であるジンを飲む習慣が広がり、社会問題となった。同じ酒でも、アルコールの弱いビールを飲むべきだとされたのである。
同じころ、上流階級や中流階級へ、さらには下層民の間にも、紅茶を飲む習慣がしだいに浸透しつつあった。しかし、紅茶や砂糖はなおかなり高価だったので、庶民が紅茶を飲むことも、「分不相応な贅沢」として、激しく非難された。
しかし19世紀になると、飲酒の習慣にかえて飲茶が大いに勧められるようになる。このため、茶と砂糖の関税も引き下げられ、価格が下がるにつれて紅茶は庶民の生活に定着した。こうしてイギリス人の生活は、 アジアやラテンアメリカの労働者の農業労働と、切っても切れない関係をもつようになった。