アーリヤ人の来住 インド・ヨーロッパ語系の言語(印欧語)を話すアーリヤ人は、はじめ中央アジア方面で遊牧生活を営んでいたが、紀元前2000年ころから移住を開始し、その一分派は数次にわたりパンジャーブ地方に移住した。ダーサあるいはダスユなどと呼んだ先住農耕民族と戦い、また共存した。
アーリヤ人の来住
前期ヴァーダ時代
インド・ヨーロッパ語系の言語(印欧語)を話すアーリヤ人は、はじめ中央アジア方面で遊牧生活を営んでいたが、紀元前2000年ころから移住を開始し、その一分派は数次にわたりパンジャーブ地方に移住した。
アーリヤは「高貴な」などの意味をもつ。「イラーン」と同じ語からでた。
彼らはみずからアーリアと称し、ダーサあるいはダスユなどと呼んだ先住農耕民族と戦い、また共存した。馬に引かせる戦車の機動力が、アーリヤ人を優位に導いたようである。
当時のアーリヤ人の生活は牧畜を主とし農耕を従としたものであった。
リグは「賛歌」の意味。ヴェーダは祭式の「知識」を意味したが、のちに「聖典」の意味に用いられた。
讃歌の中では、理想的な戦士とされる雷神インドラと、火神アグニに捧げられたものがもっとも多い。『リグ・ヴェーダ』に歌われた時代は前期ヴェーダ時代(紀元前1500年頃〜紀元前1000年頃)と呼ばれる。その結果、かれらの農耕生活への傾斜が強められた。