イタリアのファシズム
1922年10月ムッソリーニとファシスト黒シャツ隊の「ローマ進軍」(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

イタリアのファシズム

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イタリアの ファシズム

イタリアは戦勝国であったが、戦後期待した領土獲得を実現できず、国民を失望させ、国内では戦後のインフレなどによる不満を背景に、都市部での労働運動や労働条件の改善を求める農業労働者などの多様な社会運動が急速に拡大した。

イタリアの ファシズム

「ローマ進軍」
1922年10月ムッソリーニとファシスト黒シャツ隊の「ローマ進軍」(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

イタリアは戦勝国であったが、戦後期待した領土獲得を実現できず、国民を失望させ、国内では戦後のインフレなどによる不満を背景に、都市部での労働運動や労働条件の改善を求める農業労働者などの多様な社会運動が急速に拡大した。1919年11月、新しい比例代表制による国会選挙で、社会党と新たに結成されたイタリア自民党 がそれぞれ第一党、第二党に躍進し、旧来の自由主義的な統治スタイルの限界が明らかにされた。20年には、農村部での農民の土地占拠、農業労働者のスト攻勢が相つぎ、トリノなど工業都市では、経営側のロックアウトに対抗して労働者による工場占拠の動きが広まった。

こうした社会運動の展開とは別に、1919年3月、戦前は社会党機関紙編集長であったが参戦を主張して党を離れ、ナショナリズムを強調する独自の政治活動をおこなっていたムッソリーニ Mussolini (1883〜1945)が、ミラノで復員軍人や一部のサンディカリストなどとともに、ファシスト党の前身となる戦闘者ファッショを結成した。彼の運動は最初ほとんど支持をえられなかったが、社会革命の恐怖感をもった地主層が、農民運動を暴力とテロによって押えこむ武装行動隊(農村ファシズム)を組織すると、これを吸収して勢力を拡大した。ムッソリーニは社会革命を阻止する指導者として、地主層、旧軍人、軍部や行政府の一部からも支持をうけるようになった。1921年、ムッソリーニは各地のファシスト勢力を、全国ファシスト党へと統合し、22年実力で政権を掌握するためにファシスト党による「ローマ進軍」を組織して、政府や支配層に圧力をかけた。政府はこの動きを阻止しようとしたが、国内の混乱をおそれる国王はムッソリーニを首相に任命した。ムッソリーニは選挙の第一党に議席の3分の2を与えるという新法を認めさせて、事実上ファシスト党主導下に議会の無力化を実現した。20年代後半になると、彼は他政党を解散させてファシスト党の一党支配を実現し、検閲や秘密警察によって反対派を厳しく抑圧する独裁体制をきずいた。

ファッショ

ファッショ、あるいはファッシは、古代ローマの最高公職者コンスル(執政官)の権威のシンボル、ファスケス(斧の柄に棒を束ねあわせたもの)に由来する。棒を束ねることから、団結や結束を意味するようになり、19世紀後期の農民運動・左翼結社・カトリック=サークルの名にもファッショの名が付された。したがって、ファッショの語はムッソリーニが独自につくりだしたものではなかった。

一方で、ムッソリーニは1929年には長くイタリア国家と国交断絶状態にあった教皇庁(ヴァチカン市国)とラテラン条約 Lateran (政教条約)を結んで関係を正常化し、さらに干拓事業や社会事業を推進する一方、余暇組織(ドーポ=ラボーロ)による現代的娯楽や文化を国民に提供して、国民の合意を取り付けようとし、ある程度成果をあげた。

ファシズムの余暇組織

ドーポ=ラボーロ Dopolavoro とは、「労働の後」「仕事を終えた後」を意味した。全国余暇事業団のもとに、観劇などの娯楽、スポーツ活動や週末の小旅行などのレクリエーションを提供して、余暇の組織化をはかり、ファシズム体制への国民の統合を推し進めようとした。この組織はのちにナチスが大々的に模倣した。

ムッソリーニやファシスト党の思想・組織形態・行動様式・支配は、ファシズム fascism と呼ばれる。ファシズムは、国民を一元的に国家のもとに統合し、国民生活を統制することによって国家の危機を克服することを唱え(全体主義)、議会主義や共産主義を国内の対立や分裂を促す原因と決めつけ、反対や異論を唱える者を暴力的に抑圧した。一方、ファシズムは国民を絶えず政治的に動員するものの、国民の生活や労働者の期待にも一定の配慮を示す点で、権威主義体制や保守的独裁体制とはことなっていた。

ファシズム

ファシズムという用語は、最初イタリアの事例だけをさす固有名詞であったが、やがて他国の類似した新しい政治運動や政治思想などにも使われるようになった。同時に、政敵をファッショとかファシストとして非難したり、批判するための言葉ともなり、政治概念としてのファシズムに疑義もだされた。現在ではネオ=ファシズムなどのように広く使われ、定着した政治概念用語となった。

イタリアと同様、戦後、国内の社会対立の激化、政治の不安定が続いたスペインでは、1923年軍部のプリモ=デ=リベーラ将軍 Primo de Rivera (1903〜36)が軍事独裁政権の樹立を宣言した。リベーラ独裁は、イタリアのファシズムをモデルにした政策を実行し、20年代では数少ないファシズムの模倣者となった。しかし、当時はファシズムはなおイタリア独自の政治体制とみなされ、ドイツやオーストリアなどの国粋主義運動をのぞけば、大きな影響力をもたなかった。

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