キリスト教 キリスト教の成立
イエス・キリスト (アヤソフィアのモザイクイコン) @Wikipedia

キリスト教の成立
ナザレのイエスは、ヨハネの影響を受けたと思われるが、29年ころガリラヤ地方で活動を始め、パリサイ派や祭司たちの律法主義と堕落を批判し、神の愛が身分や貧富の差に関係なく全ての人におよぶこと、その神を信じて人はおのれを愛するように隣人を愛し、敵のためにすら祈るべきことを説いた。

キリスト教の成立

キリスト教の成立
オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ

キリスト教が生まれたパレスチナではヘブライ人が一神教を守り続け、それは紀元前6世紀ころユダヤ教として確立した。これはユダヤ人の民族宗教で、彼らは強国の支配のもとでも信仰を守り、民族としての一体感を失わずにヘレニズム時代には一時独立し、やがてローマの属州となったが、ヘロデ王の時にはローマに服属する王国となっていた。
しかしユダヤ教の内部は、王とともにローマと友好的な貴族や神殿の祭司たちと、神の戒めである律法を細かく研究し、ユダヤ教の知識を独占して守ろうとするパリサイ派と呼ばれる学者たち、また熱狂的な反ローマの民族主義者たち、禁欲的な修道生活を送る人々、などに分かれていた。
禁欲的な人々の中からまず洗礼者と呼ばれるたヨハネが出て祭司ら上層ユダヤ教徒の堕落を批判し、神の怒りと裁きが近いことを宣言し、悔い改めを勧めて洗礼運動を始めた。彼はヘロデ王一族を非難して捕らわれ、殺された。

ナザレのイエスは、ヨハネの影響を受けたと思われるが、29年ころガリラヤ地方で活動を始め、パリサイ派や祭司たちの律法主義と堕落を批判し、神の愛が身分や貧富の差に関係なく全ての人におよぶこと、その神を信じて人はおのれを愛するように隣人を愛し、敵のためにすら祈るべきことを説いた。
彼は自然や人間生活の具体的な例をひき、それらを時には逆説的にとらえて、古い律法は人を救いにいたらせないこと、彼の教えが新しい律法であり、神の国は信じる人の心の中にすでに来ており、今やさし迫った最後の審判においてその到来は完成すると宣言した。しかしイエスは政治的な権威には従うべきことを教え、禁欲的な生活も勧めなかった。

この時代にはユダヤの大半はローマ属州となっていた。ローマ皇帝への税金を納めるべきか、とのパリサイ派の問いに対してイエスは「カエサル(皇帝)のものはカエサルに、神のものは神に返せ」と答えた。

彼は社会的な弱者や病人、差別された人々をいたわり、癒した。女性や下層の民衆の多くが彼を信じ、漁師や収税人らが弟子となり、彼らはイエスを神が遣わした救世主(メシア)、すなわちキリストであるとみなしたが、祭司・パリサイ派はイエスを危険視し、反ローマ的な民族主義者はイエスを政治的な指導者とみなそうとした。

メシアはヘブライ語で「あぶらを注がれたもの」という意味で、神から特別の祝福を受けてつかわされたものをさし、キリスト Christ(クリストス Christos)はそのギリシア語の訳である。

イエスはやがてユダヤ教の中心地エルサレムに祭りのために入ったが、彼に現世的な力ある救済者を期待した人々は次第に彼を離れ、祭司たちはイエスを捕らえ、ローマへの反逆を企てるものだとしてローマ総督ピラトゥスに告発した。イエスは審問を受けたが自分が神の子であるとのみ答えて死刑を宣告され、エルサレム郊外のゴルゴタで十字架にかけられて処刑された。

間も無く弟子たちの間にかねてイエスが言っていたように、彼が復活したという信仰が生まれた。これを信じるものは集まって悔い改めと感謝をもって神を信じ、イエスの再臨と神の国の真の到来をまつ共同体をガリラヤやエルサレムに形成した。ここに原始キリスト教が生まれたのである。

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