キリスト教の成立 ナザレのイエスは、ヨハネの影響を受けたと思われるが、29年ころガリラヤ地方で活動を始め、パリサイ派や祭司たちの律法主義と堕落を批判し、神の愛が身分や貧富の差に関係なく全ての人におよぶこと、その神を信じて人はおのれを愛するように隣人を愛し、敵のためにすら祈るべきことを説いた。
キリスト教の成立

この時代にはユダヤの大半はローマ属州となっていた。ローマ皇帝への税金を納めるべきか、とのパリサイ派の問いに対してイエスは「カエサル(皇帝)のものはカエサルに、神のものは神に返せ」と答えた。
彼は社会的な弱者や病人、差別された人々をいたわり、癒した。女性や下層の民衆の多くが彼を信じ、漁師や収税人らが弟子となり、彼らはイエスを神が遣わした救世主(メシア)、すなわちキリストであるとみなしたが、祭司・パリサイ派はイエスを危険視し、反ローマ的な民族主義者はイエスを政治的な指導者とみなそうとした。
メシアはヘブライ語で「膏を注がれたもの」という意味で、神から特別の祝福を受けてつかわされたものをさし、キリスト Christ(クリストス Christos)はそのギリシア語の訳である。
イエスはやがてユダヤ教の中心地エルサレムに祭りのために入ったが、彼に現世的な力ある救済者を期待した人々は次第に彼を離れ、祭司たちはイエスを捕らえ、ローマへの反逆を企てるものだとしてローマ総督ピラトゥスに告発した。イエスは審問を受けたが自分が神の子であるとのみ答えて死刑を宣告され、エルサレム郊外のゴルゴタで十字架にかけられて処刑された。
間も無く弟子たちの間にかねてイエスが言っていたように、彼が復活したという信仰が生まれた。これを信じるものは集まって悔い改めと感謝をもって神を信じ、イエスの再臨と神の国の真の到来をまつ共同体をガリラヤやエルサレムに形成した。ここに原始キリスト教が生まれたのである。