スウェーデンの「自由の時代」と北欧諸国
スウェーデンに運ぶグスタフ・アドルフの遺体 (Carl Gustaf Hellqvist画)©Public Domain

スウェーデンの「自由の時代」と北欧諸国 北方戦争でカール12世(スウェーデン王)がロシアに敗れ、国力が衰退した。それでも1718年から1771年までのスウェーデンは、新憲法にもとづき、農民を含む4身分からなる身分制議会をもっていた。議会では、「ハット党」と「キャップ党」からなる二大政党制による民主的な政治が展開され、「自由の時代」と呼ばれるようになった。

スウェーデンの「自由の時代」と北欧諸国

デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3国は、1397年にカルマル同盟 北ヨーロッパ)を結成して共通の君主を戴いていた。しかし、1523年にこの同盟を解消して独立を回復したスウェーデンは、三十年戦争中グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)の軍事活動や重商主義政策によって大国となり、絶対王政の傾向を強めた。国内では1634年に憲法を発布し、貴族はもとより、とくに農民とも協調をはかった。また彼は鉱山開発を中心に産業の育成にも努めたため、スウェーデンはたちまちヨーロッパ有数の強国にのしあがった。
北方戦争地図
北方戦争地図 ©世界の歴史まっぷ
しかし、北方戦争カール12世(スウェーデン王)(位1697〜1718)がロシアに敗れ、国力が衰退した。それでも1718年から1771年までのスウェーデンは、新憲法にもとづき、農民を含む4身分からなる身分制議会をもっていた。議会では、「ハット党」と「キャップ党」からなる二大政党制による民主的な政治が展開され、「自由の時代」と呼ばれるようになった。 デンマークは、クリスティアン4世(デンマーク王)(位1588〜1648)のもとに三十年戦争に参戦したものの、スウェーデンの勢力拡大の影に敗戦を重ねた。しかし、戦後国内の改革に努め、絶対王政が成立した。北方戦争では、シュレスヴィヒを獲得するなど、国威も回復した。18世紀のデンマークは、啓蒙専制君主に数えられるフレデリック5世(デンマーク王)(位1746〜1766)時代に、重商主義政策を採用し、70年代には、ドイツ人シュトリンゼーによる急進的な改革が試みられたが、あまり成果はなかった。ただ、この改革で出版の自由が認められた結果、ノルウェーではデンマークからの独立運動がさかんになった。