メソアメリカ文明
現在のメキシコ中央・南東部・グアテマラなど中央アメリカの一部に成立した高度な文明をメソアメリカ文明と呼ぶ。
メソアメリカ文明:オルメカ文化(紀元前2000年紀)・テオティワカン文化(紀元前後ころ)・マヤ文明(4〜12世紀)・アステカ王国(15〜16世紀)
南北アメリカ文明
中南米には紀元前に、トウモロコシ・カボチャ・ジャガイモなどを栽培する農耕文化が発展していた。16世紀、スペイン人が到達したとき、メキシコ中央高原にはアテスカ王国、アンデス山中にはインカ帝国が栄えていた。アメリカ古代文明では青銅器の出現は遅く、鉄器は知られていなかったが、それは高度な都市文明に達し、整った国家組織をつくりだしていた。
メソアメリカ文明
現在のメキシコ中央・南東部・グアテマラなど中央アメリカの一部に成立した高度な文明をメソアメリカ文明と呼ぶ。
オルメカ文化
メキシコ湾岸を中心とする地域には、紀元前2000年紀にオルメカ文化という宗教色の強い文化が成立していた。
紀元前500年ころ、オルメカ文化は衰退したが、メキシコ一帯にはその遺産を引き継いだ文化が広がった。
テオティワカン文化
紀元前後ころにはメキシコ中央高原の北東にテオティワカンが建設されはじめた。ここには今も遺跡として残る太陽のピラミッドと月のピラミッドをはじめ、多数の建造物がつくられ、5世紀ころには人口数万から数十万の大都市へと成長した。しかし、8世紀の半ば、この大都市は突如衰退し、廃墟と化してしまう。衰退の原因はくわしくは不明である。
世界遺産「古代都市テオティワカン」に登録されている。
マヤ文明
またユカタン半島にはマヤ文明が栄えた。4世紀から10世紀には、ティカル、コパン、パレンケなどに祭祀センターがつくられ、石造の階段ピラミッドや神殿が建造された。10世紀後半これらの祭祀センターは急速に衰退し、10世紀の終わりから12世紀にかけてユカタン半島北部のチチェン・イッツァ、マヤパン、イシュマルの都市同盟による新帝国が栄えた。
マヤ文明は金属器は知らなかったが、象形文字を使用し、独自の天文暦数を記し、ゼロの概念もとりいれた二十進法による計算をおこなっていた。
世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」に登録されている。
アステカ王国
メキシコ中央高原のアステカ王国は16世紀、繁栄の絶頂期にあった。アステカ人は14世紀メキシコに移住してきて、トルテカの文明を継承し、テスココ湖の浮洲の上に首都テノチティトラン(現メキシコ・シティ)を建設、すぐれた軍事組織をつうじて、メキシコの広い領域を支配していた。テノチティトランは人口20万から30万、巨大な宮殿、大ピラミッド、神殿をもつ壮麗な都市であった。
しかし、この都市も、スペイン人のエルナン・コルテスに占領され、1521年アステカ王国は滅亡、メキシコ中央高原に栄えた文明も滅びた。
アメリカの古代文明リストまっぷ
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