合衆国の参戦と戦争の終結 1917年中立を保っていた米が参戦、露は十月革命でソヴィエト政府成立。ウィルソン大統領は無併合・無賠償の「勝利なき平和」を唱え戦争終結の斡旋に乗りだしたが、物資や兵器の供給や融資を通じ連合国 と経済的な結びつきを強めていた。
合衆国の参戦と戦争の終結
1917年、対戦に転機が訪れた。この年、それまで中立を保っていたアメリカ合衆国が参戦する一方、ロシアには十月革命でソヴィエト政府が成立した。アメリカ大統領に再選されたウィルソン(ウッドロー=ウィルソン)は1917年1月、「無併合・無賠償」の「勝利なき平和」を唱えて戦争終結の斡旋に乗りだした。しかし、実際にはアメリカは物資や兵器の供給、資金の融資などを通じて連合国 との経済的な結びつきを強めていた。
ドイツの軍部独裁政府が1917年2月無制限潜水艦作戦の開始 ❶ を声明したため、アメリカは民主主義の擁護を掲げて4月にドイツに対して宣戦布告した。ロシアでは、ソヴィエト政府は同盟側が休戦協定を結び講和交渉を始めた。

❶ 建艦競争は英独戦争のひとつの要因でありながら、第一次世界大戦での大きな海戦は1916年5月のユトランド沖海戦だけであった。ドイツはむしろ、イギリスへ軍需物資を補給する中立国の商船も潜水艦で攻撃する作戦をたてた。この作戦が開始されたのは1917年になってからだが、15年5月7日、イギリスの客船ルシタニア号がドイツ潜水艦に撃沈される事件がおきた(ルシタニア号事件)。1000人を越す犠牲者のなかに128名のアメリカ人も含まれており、アメリカ政府は厳しく抗議し、世論の反独感情は高まった。
❷ ブレスト=リトフスクはベラルーシの都市で、ロシア側の全権はトロツキーであった。この条約で、フィンランドとウクライナは独立し、ロシアが放棄したポーランド・バルト地域は事実上ドイツの支配下に入った。大戦後、ドイツと連合国 との休戦協定により破棄された。
第一次世界大戦年表
ヨーロッパ・アメリカ | アジア | |||
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1908 | 10 | 澳、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合 | 7 | 青年トルコ革命 |
1911 | 7 | 第2次モロッコ事件 | 10 | 辛亥革命 |
9 | イタリア=トルコ戦争(〜12.10) | |||
1912 | 10 | 第1次バルカン戦争(〜13.2) | 1 | 中華民国成立 |
1913 | 6 | 第2次バルカン戦争(〜8) | 7 | 中国第二革命 |
1914 | 6 | サライェヴォ事件 | ||
7 | 墺、セルビアに宣戦 | |||
8 | 独、ロシア・フランスに宣戦、ベルギー侵入 | 8 | 日本、ドイツに宣戦 | |
英、ドイツに宣戦 | インド参戦 | |||
タンネンベルクの戦い | ||||
9 | マルヌの会戦、仏が独を阻止 | 10 | オスマン帝国、同盟国側に参戦 | |
11 | 日本、青島攻略 | |||
1915 | 4 | イープルの戦い(毒ガス初使用) | 1 | 日本、二十一カ条の要求 |
5 | 伊、三国同盟破棄、オーストリアに宣戦 | 中国、文学革命運動 | ||
ルシタニア号事件 | 9 | フセイン・マクマホン協定 | ||
10 | ブルガリア、同盟国側に参戦 | 12 | 袁世凱帝政宣言→第三革命 | |
1916 | 2 | フェル弾要塞攻防戦(仏が死守) | ||
5 | ユトランド沖海戦 | 5 | サイクス・ピコ協定 | |
6 | ソンムの戦い(連合軍の攻勢) | |||
1917 | 1 | 米、ウィルソン大統領「勝利なき平和」 | ||
2 | 独、無制限潜水艦作戦 | |||
3 | 露、二月革命(三月革命) | |||
4 | 米、ドイツに宣戦 | 7 | ロレンス、アラビアで蜂起を組織 | |
8 | 中国、ドイツに宣戦 | |||
9 | 孫文、広東軍政府成立(〜20) | |||
11 | 露、十月革命(十一月革命)「平和に関する布告」 | 11 | バルフォア宣言 | |
石井・ランシング協定 | ||||
1918 | 1 | ウィルソン大統領「十四カ条」提案 | ||
3 | ブレスト=リトフスク条約 | |||
9 | ブルガリア、休戦 | 8 | 日本、シベリア出兵 | |
10 | オスマン帝国、休戦 | |||
11 | 墺、休戦 | |||
ドイツ革命 | ||||
第一次世界大戦終結 | ||||
1919 | 1 | パリ講和会議 | 3 | 朝鮮、三・一独立運動 |
3 | コミンテルン結成 | 英、インドにローラット法 | ||
6 | ヴェルサイユ条約調印 | 5 | 中国、五・四運動 | |
7 | ソヴィエト、カラハン宣言 |