後期ビザンツ帝国 (11世紀末〜15世紀) コムネノス朝のもとで帝国の再建がはかられ、一時繁栄を取り戻すが、セルビア・ブルガリアが独立、1204年にはヴェネツィアと第4回十字軍によりコンスタンティノープルが占領され、ラテン帝国の出現をみた。1261年ジェノヴァの協力を得てコンスタンティノープルを奪回し、ビザンツ帝国を再興したが(帝国最後のパレオロゴス朝)、1453年メフメト2世率いるオスマン軍によりコンスタンティノープルが陥落、ビザンツ帝国はその1000年におよぶ歴史を閉じた。
後期ビザンツ帝国

11世紀の末、宮廷の内紛を鎮めて帝位についたコムネノス朝のアレクシオス1世コムネノスは、貴族勢力に対し軍事奉仕を条件に公有地の管理を任せるプロイノア制を導入、これにより帝国の封建化は進んだが、貴族連合体制のもとで国内は安定することになった。
対外的には、ヴェネツィアと提携してアドリア海からノルマンを撃退、さらにセルジューク朝の圧力に対抗するためローマ教皇に十字軍(第1回十字軍 1096年〜1099年)を要請し、トルコ人に奪われた土地の回復を目指した。
この相対的安定も、12世紀末から再び崩れた。貴族層は帝国からの自立を強め、セルビア・ブルガリアも独立、1204年にはヴェネツィアと第4回十字軍によりコンスタンティノープルが占領され、ラテン帝国の出現をみた。


しかし、この再建ビザンツ帝国に昔日の面影はなく、新たにバルカン半島で強大化したセルビア王国(中世)の圧力に加え、モンゴル人に追われたトルコ系諸族の小アジア西進、とりわけオスマン帝国の出現は、相次ぐ宮廷の内乱とともに帝国の衰退・領土縮小を加速させた。 オスマン帝国は、14世紀半ばにバルカン半島に進出、都をアドリアノープルにおいて、セルビアなど周辺スラヴ諸族を征服していった。これに対し、キリスト教諸国もハンガリー王ジギスムントを中心に十字軍を結成したが、ニコポリスの戦い(1396)で敗れ、そのあとも敗退を続けた。 そして、1453年メフメト2世率いるオスマン軍によりコンスタンティノープルが陥落、ビザンツ帝国はその1000年におよぶ歴史を閉じることになった。