新大陸の発見
US Postage stamps: Columbian issues of 1893, 3c and 4c ©Public Domain

新大陸の発見

コロンブスの地図にはアメリカ大陸は存在せず、1492年に発見した陸地は最後までインドの一部だと考えていた。ポルトガルにやとわれブラジル海岸を探査したアメリゴ・ヴェスプッチがその旅行記により、新大陸の発見者とみなされ、ある地理学者がその名にちなんで、その大陸に「アメリカ」の名称を冠し、それが現在まで用いられるようになった。

新大陸の発見

1492年はコロンブス(1451〜1506)が大西洋を横切りインド諸島に到達、すなわちアメリカを「発見」した年である。カスティリャとアラゴンの結合により成立したスペインは、この年の1月、半島におけるイスラーム勢力最後の拠点グラダナを陥落させ、半島におけるレコンキスタ運動を完了させていた。これにひきついでイサベル1世(カスティーリャ女王)(位1474〜1504)は、コロンブスに支援を与えたのである。スペインの海外進出は、十字軍 スペインとポルトガル)的情熱で領土拡張をめざしたレコンキスタ運動が海外へと連続して拡大したものという見方もできる。

ジェノヴァ人の船乗りコロンブスは、トスカネリの地球球体説と西回り航路による東洋到達の可能性を信じ、大西洋横断の航海計画を立案し、ポルトガル、イギリスの王室にも後援を依頼していたが、こうした背景のなかでイサベルのスペイン宮廷の援助を取り付けることに成功したのである。

大航海時代地図
大航海時代地図 ©世界の歴史まっぷ

1492年8月、スペインのパロス港からサンタ・マリア号を旗艦とするコロンブスの3隻の船体が出港、カナリア諸島をへて、大西洋を西に進んだ。コロンブスの地図にはアメリカ大陸は存在せず、大西洋を横断すれば、インドや中国・日本に到達するはずであった。10月12日ついに陸地が発見された。これはサンサルバドル島、すなわち現在のバハマ諸島中のワトリング島とされるが、コロンブスはアジアの島のひとつと考え、キューバなど周辺の島々を探検した。コロンブスの「発見」はスペインのみならず全ヨーロッパを駆けめぐった。彼はその後1492年から1504年にわたり4度の航海で西インド諸島・パナマ沿岸を探検、南アメリカの陸地にも足を踏み入れている。コロンブスはあくまでこれらをインドの一部と考えていた。

コロンブスの「発見」にともない、1493年スペインはアレクサンデル6世(ローマ教皇)(位1492〜1503)に要請して、ヴェルデ岬西方560㎞の子午線の西側で発見される土地は全てスペイン領とするという教書をえた。しかしポルトガルがこれに抗議したので、両国は1494年トルデシリャス条約を結んで子午線をさらに150㎞西に移動し、その東側の発見地をポルトガル領とすることにした。両国による独占的な世界分割が勝手に取り決められたのである。

コロンブスの数回の航海と前後して、多くの探検者が大西洋を横断した。ヘンリー7世(イングランド王)の後援をうけたイタリア人カボット父子(父ジョヴァンニ・カボット1451頃〜1498頃、子セバスチャン・カボット1476〜1557)の北米沿岸探検(1497〜1498)、ビセンテ・ピンソン(1460頃〜1524)のアマゾン川発見(1499〜1500)、ペドロ・アルヴァレス・カブラルのブラジル到達などである。

コロンブスが「発見」した土地が「新大陸」であることは、しだいに明らかになった。バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(1475頃〜1517)は、1513年パナマ地峡を横断し、「南の海」すなわち太平洋を望見した。また、ポルトガルにやとわれブラジル海岸を探査したアメリゴ・ヴェスプッチ(1454〜1512)がその旅行記により、新大陸の発見者とみなされ、ある地理学者がその名にちなんで、その大陸に「アメリカ」の名称を冠し、それが現在まで用いられるようになった。

ドレーク船長

エリザベス朝に活躍したジョン・ホーキンズ(1532〜1595)やフランシス・ドレーク(1545頃〜1596)は、スペインの植民地や貿易船を襲撃したイギリスのprivateer(私掠船しりゃくせん私拿捕船しだほせん)の船長として名高い。私掠船とは、政府の許可をうけて、敵国の船を襲撃し、略奪する民間船のことで、行為のうえで海賊船との差異は微妙である。ドレークは、エリザベス女王から免許をえて、1570年代西インド諸島へ遠征、そして1577年、旗艦ゴールデン・ハインド号以下5隻の船隊でプリマスを出帆し、マゼラン海峡を旗艦だけが通過し、チリ・ペルー海岸を略奪しながら、北緯48度線まで北上した。その後サンフランシスコ湾まで南下し、休養と修理を終え、ここを出発し、太平洋を横断した。モルッカ諸島で、香料(クローヴ)を十分積みこみ、喜望峰をへて、1580年に帰国した。マゼランに次ぐ世界周航であるが、略奪した財宝を考えると、彼の航海は算盤上は大成功をおさめたといえる。彼はその後もスペインとの戦いで活躍、1887年には、大胆なカディス湾のスペイン艦隊襲撃で成功をおさめ、1888年の無敵艦隊撃破では、イギリス海軍副提督として功を立てた。イギリス海軍の海上覇権への道を開いた海の男である。

近代ヨーロッパの成立年表

 イタリア・ルネサンス(14〜16世紀)
1450頃ヨハネス・グーテンベルク、活版印刷技術発明
1488バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達
1492スペイン、グラナダを占領(レコンキスタ完了)
 クリフトファー・コロンブス、アメリカに到達
1494トルデシリャス条約(スペイン・ポルトガル)
1495レオナルド・ダ・ヴィンチ最後の晩餐」制作(〜1498頃)
1498ヴァスコ・ダ・ガマ、カリカットに到達
1517マルティン・ルター、九十五カ条の論題発表
1519フェルディナンド・マゼランの部下、世界周航(〜1521)
1521エルナン・コルテス、アステカ帝国征服
 イタリア戦争(第三次イタリア戦争 〜1526)
1524ドイツ農民戦争
1529オスマン軍の第一次ウィーン包囲
1533フランシスコ・ピサロ、ペルーのインカ帝国征服
1534国王至上法発布(イギリス国教会成立)
 イエズス会設立
1541ジャン・カルヴァン、ジュネーヴ市政掌握
1543ニコラウス・コペルニクス『天球回転論(地動説)』刊
1545トリエント公会議(〜1563)
 16世紀後半、価格革命おこる
1555アウクスブルクの和議(ルター派の信仰認められる)
1558エリザベス1世の即位(〜1603)
1559カトー・カンブレジ条約(イタリア戦争終結)