産業と経済の発展
エジプトの亜麻織物、ダマスクスやモスルの綿織物、絹織物、バグダードやサマルカンドの貴金属、紙、ガラス製品、イラン・イラク地方の絨毯など各種の特産物が、イスラーム世界ばかりでなく、東ローマ帝国や西ヨーロッパに向けて輸出された。これに対してイスラーム教徒の商人は、中国の絹織物、陶磁器、インドや東南アジアの香辛料、ロシアの毛皮、奴隷、東ローマ帝国の絹織物、西ヨーロッパの木材、鉄、アフリカの金、奴隷などをイスラーム世界にもたらした。
産業と経済の発展
西アジアを中心に広大な領域を支配したイスラーム国家は、東ローマ帝国の金貨とササン朝の銀貨を継承し、ディナール金貨とディルハム銀貨を正式な流通貨幣とする二本位制を定めた。ウマイヤ朝やアッバース朝時代には、ヌビアやアフリカ内陸部で産出する金とイラン東部からもたらされる銀を用いて純度の高い貨幣が鋳造され、遠距離貿易の取引に広く用いられた。またアッバース朝時代になると、為替手形(スフタジャ)や小切手(チェック、サック)などを用いて取り引きする手形決済の方法も発達した。
広大なイスラーム経済圏の出現と各地を結ぶ交通路の整備は、商品経済の発達を促し、貨幣の流通はいちだんとさかんになった。政府は都市や農村から貨幣と現物の2本立てで租税を徴収し、官僚や軍隊には予算に基づいて現金俸給(アター)を支払った。このような支払い方法は高度に発達した貨幣経済を基礎にして初めて可能だったのである。
商品経済の発展につれて、各地の手工業生産も活発となった。エジプトの亜麻織物、ダマスクスやモスルの綿織物、絹織物、バグダードやサマルカンドの貴金属、紙、ガラス製品、イラン・イラク地方の絨毯など各種の特産物が、イスラーム世界ばかりでなく、東ローマ帝国や西ヨーロッパに向けて輸出された。これに対してイスラーム教徒の商人は、中国の絹織物、陶磁器、インドや東南アジアの香辛料、ロシアの毛皮、奴隷、東ローマ帝国の絹織物、西ヨーロッパの木材、鉄、アフリカの金、奴隷などをイスラーム世界にもたらした。
こうして8世紀の半ば以降、遠距離貿易による外国商品と農村からの原料や食料は都市に集中し、これらの経済活動を支える商品は都市社会の富裕階級を形成するようになった。彼らは交易によって獲得した利潤を私領地経営に注ぎ込み、綿・稲・砂糖キビなど商品作物の栽培を精力的に推し進めた。またこれらの商人たちは、イスラームの倫理に基づいて富の社会的還元をはかることも忘れなかった。各地の都市には商人の寄進によってモスクや学院(マドラサ)が建設され、彼らはイスラーム文化の保護者としての役割を果たしたのである。
イスラーム社会の町づくり
イスラーム社会の町づくりは、カリフやスルタン、高級官僚、軍人、商人など富裕者による寄進(ワクフ)によっておこなわれた。寄進の行為と寄進された農地や店舗などをともにワクフという。これらの富裕者は、みずからの財産を寄進してモスク・学校・病院・商隊宿(ハーン)・神秘主義者の道場(ハーンカーまたはザーヴィヤ)などを建設し、また建設後の管理・維持費も同じくワクフ収入からまかなわれた。