- 東ゲルマン:ブルグント人・東ゴート人・西ゴート人・ヴァンダル人・ランゴバルド人・ゲピート人
- 西ゲルマン:フランク人・サクソン人・スエヴィ人・アレマン人・アングル人・ジュート人
- フン人:アジア系遊牧民(北匈奴と同族説が有力)
ゲルマン人の大移動とフン人
大移動に先立つ移動をつうじて、約50を数えたキヴィタスは10余りの大部族(シュタム)に統合され、国王ないし首長の権力も強化されていった。4世紀後半からの大移動はこのシュタムを単位に行われた。それにはブルグント人・東ゴート人・西ゴート人・ヴァンダル人・ランゴバルド人・ゲピート人などの東ゲルマンと、フランク人・サクソン人・スエヴィ人・アレマン人・アングル人・ジュート人などの西ゲルマンがあった。
東ゲルマン諸部族はすでに原住地から遠く離れたパンノニア(ハンガリー平野)や黒海北岸のステップ地帯に移動し定着していたが、西ゲルマン諸部族の多くは現住地にとどまるか、近隣の地域に移動したにすぎなかった。
ゲルマン人の大移動をひきおこした間接的要因は土地不足であったが、直接的要因はアジア系遊牧民フン族(フン人)の圧力であった。
ほどなくローマは東西に分裂し(395)、北辺の防備がおろそかになると、ヴァンダル・ブルグント・フランクなどの諸部族がライン川を超えてガリア地方に侵入した。こうして、民族移動は西ヨーロッパにも波及することになった。
アッティラ
生年は406年ころ。434年伯父のルア王の死後、兄弟のブレダとともに王に即位、445年ブレダを倒して独裁者となった。そして、またたくまにカスピ海からバルト海にいたる領土を支配下においた。その進撃ぶりにヨーロッパ社会は恐慌をきたし、彼はきわめて残忍な人物として、ヨーロッパ人に記憶されることになった。だが、それはあくまで誇張されたイメージであり、その生活ぶりは遊牧民らしく質素で、厳格なものであったと伝えられる。
一方、ドナウ川中流のパンノニアに拠ったフン族は、アッティラ(位434〜453)の出現とともに急速に勢力を拡大し、一帯のゲルマン人やスラヴ人を従えて大帝国を建設した。
451年アッティラの軍が西ヨーロッパに侵入すると、西ローマ・西ゴート・ブルグント・フランクは連合して対抗し、カタラウヌムの戦いでこれを撃退した。アッティラは翌年さらにイタリアに侵入したが、レオ1世(ローマ教皇)との会見後撤退した。
フン帝国はアッティラの死後まもなく瓦解するが、西ローマ帝国もそうした混乱の中で、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより滅ぼされた。