ポリスの発展
紀元前8世紀後半から戦闘方法の変革が採用され、それまでの貴族の一騎打ちや白兵戦にかわって歩兵の密集隊が用いられるようになった。この戦法は紀元前7世紀に確立し、重い楯、兜、脛当てなどで装備した重装歩兵密集隊(ファランクス)が戦いの主力になった。
ポリスの発展
ポリスはその特色を次第に強めながら、経済や文化の進展にともなって発展していった。それぞれのポリスのたどる歴史、とくに政治や社会のかたちの変化は同じではなかったが、総じて市民共同体としてのポリスの歴史がギリシア史の中心をなした。
ポリスははじめ王政であったが王権は小さく、やがて貴族たちが支配権を握った。
貴族は血統を誇り、土地・家畜・奴隷の所有で平民を圧倒し、馬を所有して戦争時には高価な武具を自弁して戦いの主力となった。ポリスの役職も彼らが独占していた。
ポリスの海上活動は次第に盛んになり、小アジアのイオニアのポリスを先頭に商業が発達し、交易のための陶器製造の手工業も盛んになった。また、貴族間の対立や人口の増加による貧困市民数の過剰などの理由により紀元前8世紀半ばから植民が広くおこなわれ、それら植民市がさらに商業活動に加わった。
紀元前7世紀、小アジアのリディアで始められた鋳造貨幣をイオニアのポリスもとりいれて、経済活動はいっそう刺激された。このため経済の発展から取り残された下層市民が貴族による土地獲得のために土地を失い、借財に苦しむようになり、他方で商業や手工業に携わって富裕化する平民も増えた。
また紀元前8世紀後半から戦闘方法の変革が採用され、それまでの貴族の一騎打ちや白兵戦にかわって歩兵の密集隊が用いられるようになった。この戦法は紀元前7世紀に確立し、重い楯、兜、脛当てなどで装備した重装歩兵密集隊(ファランクス)が戦いの主力になった。
以前よりも多くの兵士が必要となり、ポリスの武装は自弁であったから、これを負担できる富裕な平民が重要な役割を果たすようになった。
また、工業の発達により、武具はしだいに軽く、かつ購入しやすくなっていったから、歩兵になる平民の層も広がった。彼らは楯を連ねて市民仲間と一心同体となり、共同体のために戦って市民意識を高めたが、同時に自分たちが貴族のために政治や裁判上支配されていることに不満を抱くようになっていった。
植民市
植民市は各ポリスの内部の危機の解決策であったが、地中海全域にギリシア文化を伝える役割も果たした。植民者は敵地をみつけて、母市と同じようなポリスをつくり、先住民とはあまり融合せずにギリシアの文化や生活を守り続けた。
しかし母市からは独立したポリス(アボイキア=離れた家)であり、対等にオリンピア競技に参加し、また母市と戦争もした。まずミレトスが黒海沿岸に植民し、コリントスはシチリアにシラクサなどをたてた。ビザンティオン・マッサリア(現マルセイユ)・キュレネ・タラス・ネアポリス(ナポリ)などが代表的植民市である。