市民の自治
15世紀のフィレンツェの市政を独占し、ルネサンスの保護者となったメディチ家や、15世紀末から16世紀にかけて南ドイツ銀山の独占的経営を行い、皇帝や教皇の位をも左右したアウクスブルクのフッガー家など、新たな都市貴族層となった富の力を備えた市民によって、ヨーロッパは次第に新しい時代に入る。
市民の自治
中世のドイツに「都市の空気は自由にする」Stadtluft macht frei
ということわざがあるように、荘園に束縛された農民(農奴)生活と比較すれば、都市生活は確かに自由であった。だが、それはあくまで領主支配からの自由であって、決して都市住民の生活がみな自由で平等だったわけではない。都市住民にも一定の財産(主に屋敷)をもつ市民と、それを持たない下層民の区別があり、職人・徒弟・僕婢・賃金労働者・女性・貧民・乞食・賤民などからなる下層民は市政から排除されていた。
商品の生産・流通はもとより、冠婚葬祭など日常の市民生活全般を規制したのがギルドないしツンフトであった。
ギルドとは、元来商人の同業組合で、成員間の相互扶助と市場・品質・技術・価格の確保を目的に、11世紀頃より各都市に成立した。そして、都市の自治権獲得運動に中心的な役割を果たしたため、都市法の整備とともに、商人ギルドを指導する大商人層が市参事会を左右するにいたった。
それに対して、12世紀頃から手工業者も同職ギルド(ツンフト)を形成し、市政への参入をはかったが、親方層をのぞいて市民権は認められなかった。都市貴族化した大商人の市政独占に対する手工業者の反発は、13世紀中頃になると一段と強まり、各都市でギルド革命(ツンフト闘争)が展開された。
それは羊毛工業の発達した北イタリア・フランドル・北フランスなどから起こり、他地域にも波及していった。その結果、ツンフトの代表者の市政への参加が勝ち取られたが、それはまた新たな都市貴族層を生みだすことにもなった。15世紀のフィレンツェの市政を独占し、ルネサンスの保護者となったメディチ家や、15世紀にイタリアとの香料・羊毛取引で財をなし、15世紀末から16世紀にかけて南ドイツ銀山の独占的経営を行い、皇帝や教皇の位をも左右したアウクスブルクのフッガー家などは、その代表的存在である。彼らは商業金融資本家の典型であり、荘園経済を支配した土地にかわって、貨幣という新しい富が支配する時代を先取りして見せた。彼らの支配はまもなくくつがえされたが、この富の力を備えた市民によって、ヨーロッパはしだいに新しい時代に入っていく。