ユダヤ人の年表-古代
古代イスラエルのヤハウェ神教を起源とする啓示宗教。
狭義には、紀元前1230年バビロン捕囚帰還後に再建されたイェルサレム神殿祭儀とモーセの律法と核とするユダヤ人共同体の宗教に始まる。
ユダヤ人の年表-古代
ローマ軍による神殿崩壊(紀元前70年)後、ディアスポラのヘブライ人は、各地でシナゴーグを中心にラビの指導者もと、唯一神信仰とモーセ律法に発する戒律を遵奉し続けた。経典として聖書(キリスト教では旧約聖書)の他に、口伝律法やその解釈を集大成した膨大なタルムードを持つ。
参考 角川世界史辞典
創世記 – Prelude
ヘブライ人の族長ヤコブは別名イスラエルといい、ヘブライ人は皆ヤコブの子孫を称する。
ヤコブに溺愛されるヤコブの子ヨセフは、兄弟の妬みを買い隊商に売られてしまい、エジプトで奴隷となるが昇進し、宰相となり、訪れる大飢饉のためエジプトの全食糧の管理をまかされる。エジプトの他、ヤコブや兄弟が住むカナーンでも大飢饉で苦しみ、兄弟はヨセフのもとを訪れ和睦し、ファラオの許可を得てヨセフはイスラエル人をエジプトの肥沃な地に移住させる。
しかしヨセフを知らない新しいファラオが支配した際、イスラエル人は奴隷として扱われるようになる。
(B.C.2000年紀)
ヘブライ人 カナーン(約束の地)に移住
(B.C.17C)
ヘブライ人 エジプトに移住
大飢饉のため、カナーン地方から古代エジプト(エジプト第2中間期第15王朝-ヒクソス政権)に移住し厚遇される。エジプトはヒクソス人により支配されていた。
ヒクソス政権を破り、再びエジプト人がエジプトを統一したエジプト新王国第18王朝になると、ファラオイアフメス1世はヘブライ人を奴隷として酷使、迫害する。
(B.C.13C)
出エジプト
(B.C.12C)
カナーンに定着
ヘブライ人がカナーンへ辿り着いた時、カナーンの地はカナーン人(フェニキア人)、ペリシテ人が定住していた。長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、ヘブライ人はカナーンの地に定着した。この頃からイスラエル人を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナーン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。
(B.C.11C)
カナーンでイスラエル王国を建国
- ダヴィデ王の時代、ペリシテ人を撃破し、近隣王国と友好同盟を結び、イスラエルをその地方の強カな勢力に作り上げ、イェルサレムを王都に定め、イスラエル王国の礎を築いた。
- ソロモンの時代、外国との交易を広げて経済を発展させ、官僚制度を確立する。フェニキアの技術を導入してユダヤ教のイェルサレム神殿を建立する。
(B.C.10C)
イスラエル王国の分裂
ソロモンの死後、部族間の抗争により統一体制は崩れ、北と南に分裂する。
- イスラエル王国(北王国)10部族が独立 首都サマリヤ
- ユダ王国(南王国)首都イェルサレム
以後両国は盛んに争い、この戦争によって国力が衰えていった。
(B.C.8C)
イスラエル王国(北王国)の滅亡
アッシリアのサルゴン2世によって首都サマリヤは陥落し、ヘブライ人は奴隷または追放され、メソポタミアからの異民族が移住し、北王国は滅亡する。
イスラエル王国の故地に残ったヘブライと移民との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれるようになり、後に、サマリア人は、混血したことや移民たちの信仰をユダヤ教に混交させたことから後に差別される存在となる。
(B.C.8C)
ユダ王国(南王国)の滅亡とバビロン捕囚
- 紀元前609年 メギドの戦い エジプト末期王朝時代第26王朝(ネコ2世)に敗戦し、ユダ王国はエジプトの支配下に入った。
- 紀元前605年 カルケミシュの戦いでエジプト第26王朝のネコ2世が新バビロニアのネブカドネザル2世に敗れる。
- 紀元前597年 新バビロニアのネブカドネザル2世によりイェルサレムは包囲され、ユダ王国は属国となり、ユダ王国ヨヤキン王を含め約1万人のヘブライ人は捕虜としてバビロンに連行される。(第1回バビロン捕囚)
- 紀元前589年 エジプトの新バビロニア侵入にユダ王国も乗じて新バビロニアに反乱を起こす。
- 紀元前587年 新バビロニアは再びイェルサレムを包囲し、翌年ユダ王国は陥落。イェルサレム神殿は破壊された。ユダ王国は属州として併合され、多くの捕虜は首都バビロンへ連行された(第二回バビロン捕囚)。
(B.C.6C)
ヘブライ人のイェルサレム帰還
新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのキュロス2世により、バビロン捕囚となっていたヘブライ人は紀元前538年に解放され、一部のヘブライ人は再びイェルサレムに帰還する。
(B.C.6C)
イェルサレム神殿の再建
アケメネス朝ペルシアの支配下で、統一イスラエルの領域(ユダヤ)でヘブライ人はイェルサレムを再建する。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立される。紀元前515年 イェルサレム神殿を再建(第二神殿)する。
(B.C.4C)
宗主国がマケドニア王国となる
紀元前333年 イッソスの戦い、紀元前331年、ガウガメラの戦いで、アレクサンドロス3世率いるマケドニア王国がアケメネス朝ペルシア王ダレイオス3世の軍を打ち破り、ペルシアを征服したため、ヘブライ人の宗主国はマケドニア王国(アレクサンドロス帝国)となる。
(B.C.4C)
宗主国がセレウコス朝シリアとなる
紀元前312年 マケドニア王国のアレクサンドロス3世の死亡により、ディアドコイのセレウコス1世ニカトルがセレウコス朝シリアを築き、ヘブライ人の宗主国はセレウコス朝シリアとなる。
(B.C.1C)
宗主国が共和政ローマとなる
紀元前64年 共和政ローマのグナエウス・ポンペイウスによりセレウコス朝シリアがローマの属州となり、ユダヤもユダヤ属州となる。ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動もこの頃に始まる。
(A.C.66)
ユダヤ戦争
- 66年-74年 ユダヤ戦争 帝政ローマ(ネロ帝)とユダヤ属州に住むユダヤ人との間で戦争となる。
- 68年 ガリア・ルグドゥネンシス属州総督であったガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱が発端となって、ネロ帝が自殺。ゲルマニアでガイウス・ユリウス・キウィリスを首謀者とした反ローマの反乱が勃発する等、ローマは大混乱に陥る。
- 70年 イェルサレム攻囲戦 ティトゥス率いるローマ軍は、ユダヤ人の叛乱軍が66年以来立て篭もっていたイェルサレムを陥落させる。イェルサレム市街のみならず、イェルサレム神殿(第二神殿)も破壊される。なおも抵抗するユダヤ人はマサダの要塞に立て篭もり、73年まで戦い続けた。
- 神殿の破壊はユダヤ人の悲劇の日として語り継がれ、毎年ティシュアー・ベ=アーブの祭が行われている。この破壊を描いた絵画や文学も多い。一方、ローマはこの陥落を記念するティトゥスの凱旋門を建設し、これは今もローマ市内に残っている。
ユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。132年、バル・コクバの乱が起こったが鎮圧され、ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来するパレスチナという地名があえて復活された。以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散し、ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。
その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラーム徒として同化し、いわゆる現在のパレスチナ人になったと考えられている。
ユダヤ戦争が登場する作品
ザ・ローマ 帝国の興亡 第四話 ユダヤ戦争に登場