ヴァロワ朝 歴史映画「ジャンヌ・ダルク」 ヘンリー6世(イングランド王)
ジャンヌ・ダルク THE MESSENGER: THE STORY OF JOAN OF ARC

歴史映画「ジャンヌ・ダルク」 あらすじと解説

映画


歴史映画「ジャンヌ・ダルク」 あらすじと解説

歴史映画「ジャンヌ・ダルク」

あらすじと解説

プロローグ

1420年、英仏両国のトロワ条約により、フランスはシャルル6世(フランス王)の死後、英国領となった。
だが、ヘンリー5世(イングランド王)も死去し、生後間もないヘンリー6世(イングランド王)が即位する。
フランスの王太子・シャルルは、王位を奪い返すべく反旗を翻すが、英国はブルゴーニュ派と組み、コンピエーニュ、ランス、パリと侵攻される。
シャルルが正当な王になるためには、ランスで戴冠しなくてはならない。だがランスは英国軍の制圧下にある…。

フランスは暗黒の戦乱時代、フランスを救えるのはただひとつー
A miracle. (奇跡)

少女時代

ジャンヌ・ダルクは日に何度も教会に通うほど熱心なカトリック教徒だった。
幻視と神からの声を聴き、剣を拾う。

ある日、ジャンヌの暮らしていた村はイギリス軍に襲撃される。
村は焼き払われ、村人は虐殺された。姉のカトリーヌはジャンヌをかばってイギリス兵士に殺され弄ばれる。それを目撃したジャンヌは計り知れない衝撃を受ける。
両親も失い、叔父に預けられるが、ショックで食べることも寝ることもできないジャンヌは教会に行き、司祭に英国人への恨みと、何故姉は自分の身代わりにに殺されたのか、と泣きながら悲しみを訴える。司祭は「神は君が必要でお選びになった。いつか君をお呼びになる。その声にこたえるのなら、姉さんの死は無駄ではない。」と語る。
ジャンヌは、今すぐ神と一体になりたいと、勝手に聖体拝領を行う。

シノン

1420年頃の勢力範囲地図 1420年頃の勢力範囲
1420年頃の勢力範囲地図 ©世界の歴史まっぷ

シノン(地図参照)にいる王太子・シャルルの元へ、「ロレーヌの乙女」と称してジャンヌから幾度も書簡が届けられる。「神の使者」と名乗り、シャルルに戴冠させ、シャルルのために戦いたいため、軍を与えて欲しいというジャンヌに、シャルルは会ってみたいと言うが、ラ・トレモイユら臣下は悪魔の手先、ブルゴーニュ派の罠かもしれないと反対する。
しかし、ヨランド・ダラゴンは、ジャンヌに会うことを勧める。既にジャンヌの噂は国中でもちきりで、「ロレーヌから乙女が現れフランスを救う」と、民の心に希望の光がともったのだから、民を失望させてはいけないと言う。

ジャンヌには、シャルルの身代わりにジャン・ドーロンが面会したが、ジャンヌはそれがシャルルでないことを見破り、顔も知らないシャルルを大勢の中から言い当てる。

シャルルはジャンヌとふたりきりで会い、幻視と神からの声、「あの方」からお告げ「祖国フランスを敵より救い再び神の手にゆだねる」「シャルル7世をランスにお連れし、戴冠しフランス国王に」。

ジャンヌの話を信じたシャルルは、ジャン・ドーロンにジャンヌの護衛を命じる。

ジャンヌはフランス軍に戦闘用の馬と剣と甲冑、軍旗を織る職人を要求し、英国王に平和に撤兵する機会を与えるため手紙を送る。

ヨランドはオルレアンを奪われたら全土が英国の手に渡ってしまうため、大司教とラ・トレモイユがブルゴーニュ派と我々の味方になるよう共にイングランドと戦うよう交渉が必要だと察する。

ラ・トレモイユは、田舎の小娘に軍を率いらせるなど愚の骨頂だ。悪魔の手先で無いとの確証を得るため、ジャンヌが処女であるかの確認と、神の使者である証しの徴を見せろと教会の判断を煽る。
軍事経験も無く読み書きもできない田舎の小娘・ジャンヌは、
「フランスの人々が血を流しているのに皆さんは上等な服を着て私を言いくるめ、信じようとしない。神に仕える方々なのに…。」
「神はその御手で私を守り、敵だらけの国を横切りこの地に(シノン)お導き下さった。それこそが証しだ。」
「軍隊を引き連れてオルレアンで徴を見せる。」
教会を説得してオルレアンに向かう。

オルレアン

1420年頃の勢力範囲地図 1420年頃の勢力範囲
1420年頃の勢力範囲地図 ©世界の歴史まっぷ

オルレアン攻略の総司令官・デュノワ伯の元へ、ラ・イール、ジルらとジャンヌが到着する。

オルレアン包囲戦

オルレアン包囲戦

オルレアン包囲戦でジャンヌは、フランス軍を率いて奇跡的な勝利をおさめ続けた。
敗戦が続き疲弊しきったフランス軍はジャンヌの登場で戦争の趨勢を完全に逆転することになった。

データ
年月日:1428年10月12日 – 1429年5月8日
場所:フランス、オルレアン
結果:フランスの決定的な勝利
交戦勢力
歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
イングランド王国
歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
フランス王国
歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
スコットランド王国
指導者
第4代ソールズベリー伯
第4代サフォーク伯
第7代タルボット男爵
ウィリアム・グラスデール
ジャン・ド・デュノワ
ジャンヌ・ダルク
ジル・ド・レ
ジャン・ドゥ・ブザック
ラ・イル
戦力
5,000人 軍人:6,400人
武装市民:3,000人
被害者数
4,000人以上 2,000人

イングランド

オルレアンを失った報告を受けたヘンリー6世(イングランド王)は、ジャンヌを捕らえて火刑を命ずる。

ランス

シャルルはランスのノートルダム大聖堂で戴冠し、シャルル7世(フランス王)となる。

パリ城壁

疲弊した100人足らずの兵士を率いてパリを攻めるジャンヌ。シャルル7世と約束した援軍は到着しない。

シノン城

ヨランド・ダラゴンは、ジャンヌの今後をどうするか模索する。
援軍を送らなかったことを直談判したジャンヌに、シャルル7世は、今後は交渉を優先することを伝える。

コンピエーニュ

ジャンヌは独自の軍で、コンピエーニュ包囲戦に向かう。
ヨランド・ダラゴン、ラ・トレモイユらは、ブルゴーニュ派と和平交渉中だったため、ジャンヌがコンピエーニュのブルゴーニュ派を攻撃を攻撃すると交渉が水の泡になるため、ブルゴーニュ派にジャンヌを捕らえさせることをシャルル7世に進言する。

ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となる。
ジャンヌを助けるため、武将やオルレアン市民が身代金を1万集める。シャルル7世は感動し、ルニョー大司教にジャンヌの救出交渉を任せ身代金を渡す。

ルーアン

イギリスの占領統治府が置かれていたルーアンで、ボーヴェ司教・ピエール・コーションが裁判長を務める、ジャンヌの異端審問が行われる。

サン・トゥーアン墓地

火刑の準備がされたサン・トゥーアン墓地にて、パリ大学の学者たちは、地上の教会の裁きではなく、神に従うと述べるジャンヌを、教会の権威を理解しておらず、神を冒涜していると、12の罪状を作成し、背教者、悪魔の祈祷者、偶像崇拝者、異端者と判決する。
コーションら教会関係者は、火刑を免れるよう、ジャンヌに回心して教会に服従することを説得し、コーションはジャンヌに告解を約束し、回心文に署名させて火刑は免れ牢に戻った。
牢にいるジャンヌに、イングランド人たちが襲い掛かかり、着ていた服を破り、男物の服を投げ込んだ。
再度男物の服を着たジャンヌに、イングランド側はジャンヌの異端の再犯を断定する。
1431年5月30日、ジャンヌは10歳で火刑に処された。
ヴァチカンにより、500年後に聖人の列に加えられた。

face 解説
account_box シャルル7世

主人公。シャルル7世(フランス王)は、前フランス国王・シャルル6世の息子。父王・シャルル6世は精神異常により途中から政務を行えなくなった。母であり王妃であったイザボーは、王の弟のオルレアン公・ルイと不倫関係にあり、シャルル7世の父はシャルル6世ではなく、オルレアン公・ルイだと噂が広まり、トロワ条約の一因になる。
マリーと結婚し、長男ルイ(後のルイ11世(フランス王))に恵まれる。

百年戦争

1337年11月1日 – 1453年10月19日
フランス王国 VS イングランド王国
百年戦争は、フィリップ6世(フランス)はフィリップ4世(フランス)の弟の子であるが、エドワード3世(イギリス)は、フィリップ6世(フランス)の直系の孫のため、フランス王継承者であると主張するフランス王位継承問題、領有権などの対立が原因で100年以上断続的に行われた戦争。

トロワ条約

トロワ条約は、フランス・ブルゴーニュ派のフィリップ3世(善良公)とヘンリー5世(イングランド王)が、フランス・アルマニャック派に対抗するために結ばれた条約。
シャルル6世(フランス王)の死後、息子シャルル7世(フランス王)ではなく、娘キャサリンの夫・ヘンリー5世(イングランド王)が後継者になるとされた。

place シノン城
歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
シノンの王宮

シノン城は、王太子・シャルル7世が仮王宮を開いた場所。(地図参照)

account_box ヨランド・ダラゴン

シャルル7世の妃・マリーの母。
シャルル7世が11歳の時に長女・マリーと婚約させ、所領のアンジェへ連れて行き息子達と共に教育を施した。

account_box ラ・トレモイユ
ラ・トレモイユ 歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
ラ・トレモイユ

ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユはシャルル7世の寵臣ちょうしん
ブルゴーニュ公・ジャン1世(無怖公)に仕えていたが、1419年に無怖公が派閥抗争で暗殺されると実行犯だったアルマニャック派に鞍替えし、策略を重ね宮廷の実権を握る。

account_box アランソン公
アランソン公 歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
アランソン公

ジャン2世・ド・ヴァロワ。若くしてアランソン公・ペルシュ伯を継いだ。1424年、ヴェルヌイユの戦いでイングランド軍の捕虜となり1429年まで囚人として過ごす。高額な身代金が支払われ釈放されたが領地はイングランド軍の支配下に置かれた。解放後まもなくジャンヌ・ダルクに出会う。

account_box ジル・ド・レ
ジル・ド・レ 歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
ジル・ド・レ

ジル・ド・モンモランシ=ラヴァル。フランス元帥。フランス王国大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランの曾姪孫。ヨランド・ダラゴンに登用される。

account_box ラ・イール
ラ・イル 歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
ラ・イル

1418年にシャルル7世の軍に加わり、ブルゴーニュ派との戦いで頭角を現す。クーシー城を一時的にブルゴーニュ派から奪還した戦いで武名を挙げる。度重なる悪態をジャンヌに注意される。

account_box ジャン・ドーロン

シャルル7世の忠実な友で弓の名手。
シャルル7世からジャンヌ・ダルクの護衛を命じられる。英国軍が侵略するまではパリ大学にいた。

place オルレアン
歴史映画「ジャンヌ・ダルク」 オルレアン
イギリスの砲撃が始まるオルレアン

イングランド、フランスの双方にとって、戦略的にもシンボルとしても重要な街。(地図参照)
シャルル7世に忠誠を誓っていた都市の中で最北に位置していた。

account_box デュノワ伯
デュノワ伯 歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
デュノワ伯

ジャン・ド・デュノワ。オルレアン攻略の総司令官。シャルル6世の弟のオルレアン公ルイ・ド・ヴァロワの庶子。異母兄はルイ12世(フランス)の父、フランソワ1世(フランス)の祖父。父はアルマニャック派のリーダーであり、ブルゴーニュ公・ジャン1世に暗殺された。異母兄はイングランド軍の捕虜となり、身寄りがない中宮廷に引き取られ、1才年下の従弟である王太子・シャルル7世と一緒に育つ。

account_box サントライユ
サントライユ 歴史映画「ジャンヌ・ダルク」
サントライユ

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ。ガスコーニュ出身の百年戦争末期のフランス軍の指揮官。1454年にフランス元帥になる。官職としては他にベリーのバイイ、リムーザンのセネシャル、王の厩舎番長(maître de l’Écurie du roi)などを務めていた。ジャンヌ・ダルクの戦友の1人で、ザントライユ城を再建したことでも知られる。

account_box タルボット

ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯)。オルレアン包囲戦でイングランド軍の主要な指揮官のひとり。

account_box 第4代ソールズベリー伯

トマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯)。イングランド貴族。百年戦争期の主要な司令官の一人。フランス戦線のヘンリー5世に合流し、アルフルール包囲戦、アジャンクールの戦いに等、数年間フランスにおける会戦に従軍、1419年にはノルマンディーの陸将に任じられた。史実では、オルレアン包囲戦最中の1428年10月27日、立っていた窓のすぐそばに砲弾が命中し、数日後に死亡した。

place ルーアン

ジャンヌ裁判当時イギリスの占領統治府が置かれていた。

account_box ピエール・コーション

ブルゴーニュ派・親イングランド派の聖職者としてボーヴェ司教に出世し、1431年2月から5月にかけてのジャンヌ・ダルクの異端審問において裁判長を務めた。
シャルル皇太子(シャルル7世)の王位継承権を否定するトロワ条約の起草にあたった人物。史実ではイングランドがジャンヌを買い取れるよう尽力した。

系図

ジャンヌ・ダルク 系図

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