古代ギリシア史 1 エーゲ文明〜ヘレニズム時代
エーゲ文明 青銅器時代
平地に乏しく大河のないギリシアの地形は、エジプトやメソポタミアのような大規模な灌漑農業は生まれない。
- ミノア文明 (クレタ文明) 前20C – 前15C
-
- 紀元前20世紀頃 イオニア人、紀元前18世紀頃 アカイア人がバルカン半島を南下し、ギリシアに定住する。
- 青銅器文明のミノア文化(クレタ島)、ヘラディック文化(ペロポネソス)、トロイヤ文化(小アジア西部)が栄える。
- クレタ島のミノア文明で線文字Aが使用される。(未解読)
- ミノア文明はギリシアに移動してきたアカイア人に滅ぼされる。
- ミケーネ文明 前15C – 前13C
-
- アカイア人によりミケーネ文明が栄える。
- 紀元前15世紀頃 アカイア人が更に南下し、クレタ島のミノア文明を滅ぼす。
- ミノア文明を引き継ぎ線文字Bを発明する。
- トロヤにトロヤ文明も栄えるが、ミケーネ文明に滅ぼされる。
- 前12C頃、ミケーネ文明が滅亡する。(原因は不明)
暗黒時代 初期鉄器時代
- 前12C – 前8C (400年間)
-
- 紀元前12世紀頃 ドーリア人がギリシアに侵入しペロポネソス半島に定住し残ったアカイア人を征服する。
- 国を追われたアカイア人は東方へ移動し、一部は海を渡って小アジアに定着する。
- ミケーネ文明崩壊から約400年続いた混乱期を暗黒時代と呼ぶ。文字は忘れ去られ、生活水準も低下したが、 鉄器の普及、貴族を中心とした社会の再編成など、新時代への転換期でもあった。
- 海の民の出現 海の民は青銅器文明だったが、エジプト新王国、シリア・パレスチナ、そして鉄器を使用していたヒッタイト王国に侵入し、ヒッタイト王国を滅ぼす。
- 前10C頃の地中海ではフェニキア人が活動を活性化。
前古典時代 ポリス(都市国家)の成立
- ポリスの誕生 前8C前半
-
- ポリスとはミケーネ諸国を離れて新天地に定着した人々が指導者のもとにシノイキスモス(集住)して形成した都市国家をいう。
- ほとんどのポリスで王権が存在しない = 共和政
ポリス社会の特徴
- 貴族と平民からなる市民共同体。
- 各ポリスは分立しつつも、強い 同胞意識(ギリシアの神々を信じていること・運動、音楽などを競争するアゴーン(競い合うこと)が好きなこと(オリンピアの祭典))で結びついている。
- 職業軍人はおらず、市民が自弁の武装で兵士を兼ね国防する。
- 政治を担うものがポリスの市民 = 財産を持って武装できることが市民の必要条件。(男子のみ)
- 多くの奴隷(無産市民)を使用する奴隷制社会。
- 植民活動がさかん。(植民市も独立のポリスとなる)
- フェニキア文字を修正したギリシア文字の使用
デルポイの神託
デルポイは、ボイオティアの急峻な山脈のポリスで、デルポイのアポロン神域は、すでに紀元前9世紀から崇められていた。しだいに神託の権威が高まり、ことに植民地建設がさかんになって出発前に適当な土地について尋ねることが習わしとなった。おそらく各ポリスから集まる人々から各地の情報がデルポイの祭祀にもたらされ、神殿は一種の情報センターでもあったと推測されている。神託は月1度厳かな儀式をもって巫女・シビュラが伝え、それを祭祀が通訳して依頼者に教えた。多くは謎めいた韻文であった。デルポイには神託の成就に感謝するポリスからの奉献物が捧げられ、小アジアの異民族の王国からも依頼があった。
詳説世界史研究より
オリンピア競技
歴史上有名なこの競技は、ペロポネソス半島のエリスというポリスの宗教祭典として始まった。紀元前776年が第1回で4年毎に開かれた。競技は5日間で、種目は次第に増えた。競技が裸体でおこなわれたのはある時期だけのことであったらしい。
代表的な種目は、格闘技のパンクラティオン、短距離走、幅跳び、レスリング、円盤投げ、やり投げの五種競技(ペンタスロン)などであった。
優勝者はリストに掲げられ、出身ポリスでは大変な名誉をもって迎えられた。しかし、競技に参加できたのは余裕のある貴族だけであった。オリンピア競技はローマ時代にも続き、最期の競技が行われたのは395年であった。
詳説世界史研究より
- アテナイ(アテネ) 前8C – 前5C
-
- 集住型ポリス (シノイキスモス) 地域ごとに有力者を中心に軍事・経済上の要地へ集住する。
- 痩せた土地のため魅力がないとドーリア人に攻撃されずアカイア人の王家が存続した。
- エーゲ海や黒海での海上交易を中心に交易都市として発展する。
- 民主政を実現する。
- スパルタ 前8C – 前5C
-
- 征服型ポリス (ドーリア人が征服しアカイア人を奴隷とする。)
- 鎖国 肥えた土地のため農業が栄える。
- 軍事的教育制度「スパルタ教育」(奴隷の反乱に備えるため)
- 軍国主義 リュクルゴスによりスパルタの仕組みが作られる。奴隷の国有化・貴金属の使用禁止・鎖国政策等。
- 植民活動 前8C – 前6C半
-
- 人口増加による土地不足・交易の拠点を設けるという商業目的 → 植民活動 → 地中海に多数のギリシア人ポリスが成立(植民市)
ギリシアの主な植民市 マッサリア(現マルセイユ)、ネアポリス(現ナポリ)、シラクサ、タレントゥム(現タラント)、ビサンティオン(現イスタンブル)、ミレトス 硬貨を使用していたリディア王国を経由して貨幣経済が入ってきた → 貧富の差が生じる(現在の学説では否定されている。)- 世界ではじめて硬貨を使用したオリエントのリディア王国とも交易を行っていた。
関連する叙事詩
ヘシオドス「神統記 (岩波文庫 赤 107-1)」 「ヘーシオドス 仕事と日 (岩波文庫)」 - 人口増加による土地不足・交易の拠点を設けるという商業目的 → 植民活動 → 地中海に多数のギリシア人ポリスが成立(植民市)
- 重装歩兵
-
- 武器・防具が高価なため貴族が装備して馬に乗る重装騎兵(一騎打ち)がポリスを守っていた。 → 貴族が政治の主役
- 地中海に植民市が成立していくことで貿易も拡大 → 平民の富裕化
- 富裕化した平民が武器を揃えられるようになる → 平民の重装歩兵 → 密集戦術隊形(ファランクス) → ポリス防衛の主力になる。
重装歩兵
- アテナイ(アテネ) 貴族政から民主政へ
-
ドラコンの立法 前7C アテネ(アテナイ)のアルコン(執政官)ドラコンにより、それまで特権階級に知られていた独断で内容を変え得る不文法に代わり、アレオパゴス会議に出席出来得る全ての市民にわかる、識字可能な法律を作成した。
ソロンの改革
前594年 アルコンのソロンにより、身分を血縁ではなく、財産の有無で4つの階級に分ける財産政治を行う。階級によって納税額を決め、義務と権利を定める(財産政治)。債務奴隷の負債を免除し、以後人身抵当の禁止を行う。ペイシストラトスの改革
前6C 市民は住む場所によって階級が決まっていた。- 平地:平地党 地主
- 海岸:海岸党 商人(貿易)
- 山地:山地党 貧民(小作人)
山地党のペイシストラトスが僭主となり、平地党の大地主を国外追放し、その土地を山地党に再分配し、足りない土地を求めて植民活動を行った。国の繁栄に貢献する商人、手工業者階級を保護した。
クレイステネスの改革
ペイシストラトスの時代は良かったが、後を継いだ息子ヒッピアスが無能だったため秩序が悪化した。クレイステネスはヒッピアスを国外追放し、無能の僭主が現れないように陶片追放(僭主を狙うと思う者を投票し6000票を超えると国外追放される)を行う。従来の地縁部族を解体し、平地党・海岸党・山地党からなる新部族を10部族つくり、民主制の基盤とした。ペルシア戦争 前499年 サラミスの海戦で、重装歩兵になれない無産市民が、船(三段櫂船)の漕ぎ手として大活躍し、兵士として認められ政治に参加できる存在になる。
関連する叙事詩
ヘロドトス 「歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)」ペリクレス時代 前462年 民会を国政の最高決議機関とし、ペルシア戦争で活躍した無産市民を含めた成人男性が参加できた。(女性・奴隷・在留外人除く)
直接民主制で、民会で官職を能力に関わらず抽選(くじ引き)で選び、なおかつ任期は1年とし、当てない民主政治が完成した。
誰もが政治に参加するための余暇を生み出すため、奴隷制度の存在がアテナイの民主政治にとっても切り離せないものになる。デロス同盟の金庫(財政)
アケメネス朝ペルシアに対抗するために作られたデロス同盟で集められた資金をペリクレスが流用し、パルテノン神殿造営や当てない民主政を支える手当等に用いられた。
古典時代
- ペルシア戦争 前499-前449
-
- 前498年-全494年 イオニアの反乱 リディアの滅亡後、アケメネス朝ペルシアの支配下に入っていたギリシア人植民市のイオニアがアケメネス朝の干渉に反感をつのらせ、反乱をおこし、アテナイが支援する。
- イオニアの反乱に加勢したアテナイへの報復と西方世界の進出のため、アケメネス朝ダレイオス1世はギリシアへ侵攻を開始する。(マラトンの戦い・テルモピレーの戦い・サラミスの海戦・プラタイアの戦い)[地図参照]
- 第2回ペルシア戦争のマラトンの戦い アテナイが上陸してきたアケメネス朝ペルシアを撃破する
- 第3回ペルシア戦争はアケメネス朝ペルシアが陸と海の両方から攻め込んだため、他のポリスに協力を得、特に強力なスパルタの陸軍参戦もあり、サラミスの海戦でアテナイの海軍がアケメネス朝を撃退することができた。
- サラミスの海戦で、重装歩兵になれない無産市民が、船(三段櫂船)の漕ぎ手として大活躍し、兵士として認められ政治に参加できる存在になる。
- ポリス市民社会がペルシア大帝国の脅威を退け、自由と独立を守り切る。
- 前478年 デロス同盟 対ペルシア防衛を目的に、アテナイは各ポリスが参加するデロス同盟を結成する。
- ペロポネソス戦争 前431
-
- 前6C末 ペロポネソス同盟 スパルタクレオメネス1世がスパルタを盟主とするペロポネソス半島の諸ポリスからなるペロポネソス同盟を結成する。
- 前431- 前404 アテナイを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟が対立し、ペロポネソス戦争がおこる。
- 守勢に立ったアテネは籠城するが、疫病が蔓延し人口のの3分の1を失い、ペリクレスも倒れ、スパルタが勝利する
- 敗因 ペリクレス以後の無能な指導者をデマゴーゴス(デマゴーグ)という。無能な指導者を生み出したのは政治に無関心な民衆であり、デマゴーゴスを生み出すような政治状況を衆愚政治という。
- 影響 デロス同盟の解体
- アケメネス朝ペルシアはスパルタに加担してアテナイと戦った。
- レウクトラの戦い 前371年
-
- ペロポネソス戦争に勝利したスパルタは、他のポリスにスパルタ主導の寡頭政を強制導入し全ギリシアを支配する。
- エパメイノンダス率いるテーバイを中心とするボイオティア軍がスパルタと戦う。 レウクトラの戦い
- ボイオティア軍が勝利し、スパルタ王クレオンブロトス1世は敗死する。
- テーバイが古代ギリシアの覇権を握る契機となる。
- 影響 ペロポネソス同盟解体
- カイロネイアの戦い 前338年
- ポリスの終焉
- ポリス間抗争が続く → 耕地が荒廃 → 土地を手放さざるを得なくなる → 市民は義務である重装歩兵として参戦できない → 傭兵(給料を貰って戦う雇われ軍人)の使用が広がりを見せる → 市民共同意識の低下
カイロネイアの戦いで敗戦 → マケドニア王国の支配下になる → 「王のいない世界」でなくなる → ポリス世界の消滅
ヘレニズム時代
- アケメネス朝ペルシア征服 前350年 – 前30年
-
- 前338年、マケドニア王国がカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍に勝利し、前337年にスパルタを除く全ギリシアを統一するコリントス同盟を結成し、その盟主となる。
- マケドニア王国アレクサンドロス3世がダレイオス3世のアケメネス朝ペルシアを征服(イッソスの戦い)し、インド北西部まで侵入し、ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアに至る大帝国を築いた。
- アレクサンドロス3世急逝後、ディアドコイらが(ディアドコイ戦争を経て)遺産を継承し、2世紀にわたってギリシア文明とオリエント文明を融合したヘレニズム文明が各地に拡散した。
紀元前200年頃の西アジア
ヘレニズム時代が登場する作品
トップ画像出典: Wikipedia