飛鳥の朝廷
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飛鳥の朝廷

東アジアの動向とヤマト政権の発展
1 6世紀の大陸情勢


- 朝鮮半島:高句麗の巨大化 百済・新羅の加耶への勢力拡大
百済・新羅が南下し、562年までに●●●諸国を支配する - 中国:589年、●●●が中国を統一 高句麗へ出兵開始
2 国内情勢
- 豪族の争い
- ①6世紀初め:
- 大伴氏が継体天皇を擁立し、権勢を強大化
- ●●●のとき、朝鮮半島への政策に絡む失敗で失脚 衰退
- ②物部氏と蘇我氏の対立 崇仏論争(物部尾輿 対 蘇我稲目)
- 物部氏:旧勢力と結び、伝統を重んじる(廃仏派)
- 蘇我氏:渡来人と結び仏教の受容に積極的(崇仏派) 三蔵(斎蔵・内蔵・大蔵)の管理を担当し、財政権を掌握
- ③587年、大臣の●●●(稲目の子)が、大連●●●(尾輿の子)を滅ぼす
- ④592年、●●●は崇峻天皇を暗殺し、権力を掌握 女性の●●●天皇が即位
6世紀の日本国内の動き図©世界の歴史まっぷ - ①6世紀初め:
- 推古朝の治世:蘇我馬子に加え、天皇の甥で摂政の●●●が推進
- ①「仏法興隆の詔」発令(594):仏教をはじめ大陸文化の積極受容
- ②●●●(603):人材登用を目的に、豪族個人の才能や功績に応じ冠位を付与 氏族単位の組織を天皇のもとに再編成
- ③●●●(604):天皇中心の中央集権国家に向けた官吏の心構えなどを訓戒 仏教・儒教・法家思想の影響
史料チェック: 憲法十七条
「二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。
三に曰く、詔を承りては必ず謹め、君をば則ち天とす、臣をば則ち地とす。(『日本書紀』)」
3 中国との交渉

- 推古朝による遣隋使の派遣
- ①600年の派遣:日本側史料には記載なく、中国の『●●●』倭人伝にあり
- ②●●●年、●●●を遣隋使として派遣
- 従来の朝貢外交を改め、対等外交へ方針転換
- 隋の皇帝●●●、非礼に立腹するも翌年に答礼使●●●を日本へ派遣
- ③608年、裴世清の帰国に伴い、小野妹子が再渡航。その際、留学生高向玄理、学問僧●●●や南淵請安みなみぶちのしょうあんらが同行
史料チェック: 遣隋使の派遣
開皇二十年(●●●年)、倭王あり、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥と号す。使を遣して闕に詣る。
大業三年(●●●年)、其の王多利思北孤、使を遣して朝貢す。 其の国書曰く、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」と。帝(●●●)、此れを覧て悦ばず、鴻臚卿に請ひて曰く、「蕃夷の書、無礼なる有らば、また以て聞するなかれ」と。(『隋書』倭国伝)
- 隋、高句麗との戦いなどで疲弊 隋滅亡 唐が建国(618)
-
●●●年、第1回遣唐使の派遣
●●●天皇の時、遣唐大使として●●●らを派遣

チェック
1. 次の文Ⅰ〜Ⅲについて、古いものから年代順に配列せよ。
- Ⅰ 大王の墓とみられる誉田山(誉田御廟山)古墳が造られた
- Ⅱ 物部守屋を滅した人物が、さらに在位中の大王を暗殺した
- Ⅲ 大伴金村らが、継体を大王に擁立した
答え ●●●
2. 次の文を読み、[ア]〜[エ]に入る語句を答えよ。
日本では、古墳時代[ア]ごろから、古墳の副葬品として馬具がみられるようになり、乗馬が行われはじめたことがわかる。乗馬の風習は、[イ]の好太王の碑文に記されているような、戦争を含めた朝鮮諸国との交渉を通じて日本に伝えられたものであろう。軍事的に重要な意味をもつ馬の利用と育成は、こののち日本各地に急速に普及した。隋の使節として[ウ]が来日した[エ]天皇の時期には、朝廷の騎馬隊が編成されるようになっていて、豪華な装いに威儀を正した騎馬隊がこの使節を出迎えた。
答え [ア]●●● [イ]●●● [ウ]●●● [エ]●●●