6世紀の日本国内の動き図 1「飛鳥の朝廷」まとめ1/2
6世紀の日本国内の動き図©世界の歴史まっぷ

1「飛鳥の朝廷」まとめ1/2 - 東アジアの動向とヤマト政権の発展

日本史 > 第I部 原始・古代 > 第2章 律令国家の形成


飛鳥の朝廷

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飛鳥の朝廷

世界史対照略年表(前400〜600)
世界史対照略年表(前400〜600)©世界の歴史まっぷ

東アジアの動向とヤマト政権の発展

1 6世紀の大陸情勢

東アジア諸国との交渉 4〜5世紀の東アジア地図
4〜5世紀の東アジア地図©世界の歴史まっぷ
隋の統一 隋(王朝) 隋との交渉 隋の統一地図
隋の統一地図 ©世界の歴史まっぷ
  1. 朝鮮半島:高句麗の巨大化 百済新羅の加耶への勢力拡大
    百済・新羅が南下し、562年までに●●●諸国を支配する
  2. 中国:589年、●●●が中国を統一 高句麗へ出兵開始

2 国内情勢

  1. 豪族の争い
    • ①6世紀初め:
      • 大伴氏が継体天皇を擁立し、権勢を強大化
      • ●●●のとき、朝鮮半島への政策に絡む失敗で失脚 衰退
    • ②物部氏と蘇我氏の対立 崇仏論争(物部尾輿おこし 対 蘇我稲目)
      • 物部氏:旧勢力と結び、伝統を重んじる(廃仏派)
      • 蘇我氏:渡来人と結び仏教の受容に積極的(崇仏派) 三蔵みつのくら(斎蔵・内蔵・大蔵)の管理を担当し、財政権を掌握
    • ③587年、大臣の●●●(稲目の子)が、大連●●●(尾輿の子)を滅ぼす
    • ④592年、●●●は崇峻天皇を暗殺し、権力を掌握 女性の●●●天皇が即位
    6世紀の日本国内の動き図
    6世紀の日本国内の動き図©世界の歴史まっぷ
  2. 推古朝の治世:蘇我馬子に加え、天皇の甥で摂政の●●●が推進
    • ①「仏法興隆の詔」発令(594):仏教をはじめ大陸文化の積極受容
    • ●●●603):人材登用を目的に、豪族個人の才能や功績に応じ冠位を付与 氏族単位の組織を天皇のもとに再編成
    • ●●●604):天皇中心の中央集権国家に向けた官吏の心構えなどを訓戒 仏教・儒教・法家思想の影響
      史料チェック憲法十七条
      「二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。
      三に曰く、詔を承りては必ず謹め、君をば則ち天とす、臣をば則ち地とす。(『日本書紀』)」

3 中国との交渉

弥生・古墳時代 中国との交渉 東アジア世界の形成と発展 邪馬台国連合
東アジア世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
  1. 推古朝による遣隋使の派遣
    • ①600年の派遣:日本側史料には記載なく、中国の『●●●』倭人伝にあり
    • ●●●年、●●●を遣隋使として派遣
      • 従来の朝貢外交を改め、対等外交へ方針転換
      • 隋の皇帝●●●、非礼に立腹するも翌年に答礼使●●●を日本へ派遣
    • ③608年、裴世清の帰国に伴い、小野妹子が再渡航。その際、留学生高向玄理たかむこのげんり、学問僧●●●南淵請安みなみぶちのしょうあんらが同行
      史料チェック: 遣隋使の派遣
      開皇二十年●●●年)、倭王あり、姓は阿毎あめ、字は多利思北孤たりしひこ阿輩雞弥おおきみと号す。使を遣してけついたる。
      大業三年●●●年)、其の王多利思北孤、使を遣して朝貢す。 其の国書曰く、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無つつがなきや、云々」と。帝(●●●)、此れを覧て悦ばず、鴻臚卿こうろけいに請ひて曰く、「蕃夷の書、無礼なる有らば、また以て聞するなかれ」と。(『隋書』倭国伝)
  2. 隋、高句麗との戦いなどで疲弊 隋滅亡 唐が建国(618
  3. ●●●年、第1回遣唐使の派遣
    ●●●天皇の時、遣唐大使として●●●らを派遣

まんが日本史

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