13.南北アメリカ文明
13.南北アメリカ文明
1. 中央・南アメリカの先住民
ベーリング海峡がアジアとまだ地続きであった氷期に、モンゴロイド系(黄色人種)と思われる人々がアメリカ大陸に渡り定着した。のちヨーロッパから「インディオ」とか「インディアン」とよばれることになる先住民である。彼らは南北に長い大陸の各地で環境に適応していったが、メソアメリカ(現メキシコと中央アメリカ)や南アメリカのアンデス地帯ではトウモロコシやジャガイモなどを栽培する農耕文化が紀元前2000年から発展し、高度な都市文明が築かれた。
2. メソアメリカ文明
中央アメリカでは、紀元前1200年頃までにオルメカ文明がメキシコ湾岸で成立し、周辺地域に影響を与えた。ジャガー神や蛇神を崇拝し、強い宗教色を特色とする文明であった。宗教遺跡で発見された巨石人頭像は支配者を表現したものと考えられるが、オルメカの人面像にはジャガーをモチーフとしているものも多い。オルメカ文明は紀元前500年頃に衰退したが、メキシコ一帯にはその遺産をひきついだ文化が広がり、紀元前1世紀にはメキシコ高原でテオティワカン文明が生まれ、交易で繁栄した。「太陽のピラミッド」などの神殿がたちならぶ街は、暦にもとづいて設計・建築された計画都市でもあった。しかし8世紀の半ば、突如衰退し、廃墟と化してしまう。
ユカタン半島では紀元前1000年頃から16世紀にかけてマヤ文明が展開して、4世紀から9世紀に繁栄期をむかえた。そこでは、ピラミッド状の神殿、二十進法、精密な暦法、絵文字などをもつ独自の文明が発達した。また、アステカ人が北方からメキシコ高原に移住してきてトルテカ文明を継承し、14世紀にはテノチティトラン(現メキシコシティ)を首都とする王国をつくった。アステカ文明もピラミッド型の神殿や絵文字をもち、軍事的神権政治が行われていた。
3. アンデス文明
アンデス高地では、紀元前1000年頃に北部にチャビン文明が成立して以降、ナスカ文明やティアワナコ文明などが生まれ、さまざまな文明や王国が現れた。15世紀半ばには、現在のコロンビアからチリにおよぶ広大なインカ帝国が、ペルーのクスコを都として成立した。そこにはすぐれた石造建築技術を用いた神殿や宮殿が建てられた。太陽の化身である国王は、広大な領土を支配するために、道路をつくり駅に飛脚をおいて通信網を整備した。険しい山岳地帯につくられたマチュ=ピチュの遺跡が示すように石像建築にすぐれ、人々は灌漑施設をもつ段々畑などで農業を行なっていた。文字はもたなかったが、縄の結び方で情報を伝えるキープ(結縄)によって記録を残した。
南北アメリカ文明はユーラシア大陸の文明との交流はほとんどなかったが、トウモロコシ、ジャガイモ・トウガラシ、トマトなどアメリカ大陸の物産は大航海時代以降、ヨーロッパに伝わり、世界の食生活に大きな影響を与えた。またすぐれた石造建築技術をもっていたが、鉄器や車輪は用いなかった。火器ももたず、大型家畜(牛・馬)がいなかったことは、16世紀にスペイン人が進出してきたときに軍事的に不利な要因となった。
4. 南北アメリカの古代文明
- メソアメリカ
- メキシコ オルメカ文明, テオティワカン文明, トルテカ文明, アステカ文明(都:テノチティトラン)
遺跡:テオティワカン - ユカタン半島 マヤ文明
遺跡:チチェン=イツァ
- メキシコ オルメカ文明, テオティワカン文明, トルテカ文明, アステカ文明(都:テノチティトラン)
- 南アメリカ チャビン文化, ナスカ文化, インカ帝国
遺跡:チャビン・デ・ワンタル, チャン・チャン遺跡, マチュ=ピチュ, ポトシ銀山