18.アフリカのイスラーム化とイスラーム文明の発展
- 1. アフリカのイスラーム化
- 2. イスラーム文明の発展
18.アフリカのイスラーム化とイスラーム文明の発展
1. アフリカのイスラーム化
ナイル川上流にはアフリカ最古の黒人王国である
クシュ王国があり、紀元前8世紀には一時エジプトを支配した(エジプト第3中間期第25王朝)。しかし、鉄の武器で武装した
アッシリア(新アッシリア時代)に追われ、都は南方の
メロエに遷された。4世紀にこの王国は、エチオピア高原に建国された
アクスム王国に滅ぼされた。
7世紀、サハラ砂漠の南、ニジェール川上流に
ガーナ王国が出現した。この王国では産出した金を北方に輸出し、「王者の商品」といわれたサハラの
岩塩をアフリカ奥地に送りこむ商取引により繁栄した。しかし11世紀、ベルベル人の
ムラービト朝に征服され、衰退していった。これを契機としてサハラ以南の西アフリカのイスラーム化が進展した。そして13世紀には「黄金の国」
マリ王国がこれにとってかわった。マリ王国の最盛期は14世紀の皇帝
マンサ=ムーサ(カンカン=ムーサ)のときである。彼のカイロ経由のメッカへの巡礼で、この国の名がヨーロッパに知られるようになった。しかし15世紀末には同じ黒人のイスラーム王国である
ソンガイ王国に圧倒され、やがて衰亡した。ガオを首都とするソンガイ王国は15世紀末に最盛期をむかえた。イスラーム文化の中心地となったニジェール川中流の交易都市
トンブクトゥには、アフリカ最古の大学が設置された。しかし16世紀末、火縄銃で武装したモロッコ軍の侵入を受け衰退した。
16世紀までのおもなアフリカの諸国地図 ©世界の歴史まっぷ
東アフリカの東海岸には
マリンディ・
モンバサ・
キルワなどの海港都市があり、アラビア人からザンジュの国とよばれていた。7世紀以後、ムスリム商人がアフリカ内陸部からもたらされる金や
象牙を求めて盛んに来航した。
インド洋交易の西の拠点としてこれらの都市は繁栄し、やがてこの海岸地帯では、アラビア語の影響を受けた
スワヒリ語が共通語として用いられた。モロッコ生まれの大旅行家
イブン=バットゥータは14世紀のキルワを「世界で最も美しく、最もりっぱに建築された都市のひとつ」と述べている。内陸部では、11世紀頃、ザンベジ川の南に
モノモタパ王国が成立し、金の産出地域と沿岸との交易路を支配し、14〜15世紀に最も繁栄した。現在も
ジンバブエの地に壮大な石像遺跡が残されている(
大ジンバブエ遺跡)。
2. イスラーム文明の発展
イスラームの学問には、アラブ人のもとで生まれた「
固有の学問」(法学・神学・歴史学など)と、インド・イラン・ギリシア・ローマなどからとりいれた「
外来の学問」(哲学・医学・数学・天文学・化学・地理学など)との2つの系統がある。
歴史学では、14世紀のチュニジア生まれたの
イブン=ハルドゥーンが、その著『
世界史序説』(『
歴史序説』)で都市と遊牧民との交渉を中心に、王朝興亡の歴史に法則性のあることを論じた。
数学では、
フワーリズミーらは
代数・三角法を開発し、近代科学への道をひらいた。
医学・薬学も発達し、その集大成として
イブン=シーナー(アヴィケンナ)が『
医学典範』を著した。
文学では、詩の分野が大いに発達し、
ウマル=ハイヤームがペルシア語の詩集『
ルバイヤート』(『四行詩集』)を著した。説話文学も数多く書かれ、インド・イラン・ギリシアなどの説話を集大成した『
千夜一夜物語』(『アラビアン=ナイト』)がまとめられた。メッカ巡歴記を中心とする旅の文学も盛んで、
イブン=バットゥータはモロッコから中国にいたるまで広く旅して、『旅行記』(『
三大陸周遊記』)を残した。
美術・工芸の分野では、
唐草文や文字を図案化した
アラベスクという装飾文様や、繊細な細密画(ミニアチュール)が発達した。
参考
流れ図で攻略詳説世界史B―New