農耕社会の成立
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目次
農耕社会の成立
弥生文化の成立
1 紀元前の中国の情勢
- 紀元前6500年〜5500年頃、中国大陸で農耕社会が成立
- 紀元前6世紀頃、鉄器の使用開始 春秋・戦国時代には農業生産力が進展
- 農耕や金属器の文化が日本列島に波及 縄文晩期、九州北部で水稲農耕開始
佐賀県菜畑遺跡、福岡県板付遺跡など 弥生文化の成立(前4世紀頃)
2 弥生文化
- 範囲:西日本に水稲耕作を基礎とする弥生文化が成立 東日本へ
- *北海道や南西諸島では食料採取文化が継続(弥生文化は伝播せず)
- 北海道 ●●●文化を経て擦文文化やオホーツク文化が成立
- 南西諸島 ●●●文化が展開
- 特色:水稲耕作の開始・金属器(青銅器・鉄器)の使用、弥生土器の使用
3 弥生土器
(弥生の名称 東京の本郷弥生町向ヶ丘貝塚で発見されたことに由来)
- 特色:薄手で赤褐色。土器の編年により弥生時代を前期・中期・後期に区分
- 器型:用途別に、煮炊き用の甕、貯蔵用の壺、食べ物を盛る鉢や●●●など
弥生人の生活
1 水稲農耕

- 伝来ルート:長江下流、山東半島、朝鮮半島経由など複数の説
- 技法・農具など:打製・磨製石器や木製農具 後期には金属器使用 鉄製刃先の鍬など・鉄鎌で根刈り・農具製作に鉄製工具使用
- ①小区画だが、灌漑・排水路を設けた水田も存在、田植えの開始
- ②前期の湿田 中・後期には生産性の高い●●●の開発
- ③農耕と併行し、狩猟・漁労も盛ん ブタの飼育も
- ④耕作:刃先まで木製の鍬や鋤 後期には鉄製刃先の鎌・鍬
- 収穫:●●●による穂首刈り
- 脱穀:木臼と●●●
- 作業:農作業時に田下駄、肥料踏込みに大足
- 貯蔵:高床倉庫や貯蔵穴
- ⑤主な遺跡
- 静岡県●●●遺跡(1493年発見)
- 奈良県●●●遺跡
- 青森県●●●遺跡、砂沢遺跡(最北の水田跡)
2 金属器(青銅器・鉄器)の使用

- 青銅器(主に祭器・宝器に使用)
- ①出土分布:共通の祭器を使う広域文化圏の存在
- 九州北部中心:●●●
- 瀬戸内海中心:●●●
- 近畿地方中心:●●●
- ②文化圏重複域
- 島根県●●●遺跡:銅鐸・銅矛、300本以上の銅剣出土
- 島根県●●●遺跡:39点の銅鐸を一括出土
- ①出土分布:共通の祭器を使う広域文化圏の存在
- 鉄器:武器、工作具、農具として使用
青銅器の変化
青銅製武器であった銅剣・銅矛・銅戈は、日本では大型化して祭器に変容。銅鐸も祭器としてしだいに大型化。
3 社会・生活の変化
生産性向上 貧富の差、支配者層の出現
- 埋葬法の多様化
- 地域特有の墳丘の出現 首長(小国の王)の出現を推察
- ①四隅に突出部をもつ●●●墳丘墓(山陰地方中心)
- 両側に突出部を有する岡山県の縦築墳丘墓など
小国の分立
1 集落間の争い
- 強大な集落が縮小集落を統合 「ムラ」から「クニ」へ
- 防御的機能を有する集落の出現
- ①●●●:周囲に濠や土塁をめぐらす。佐賀県●●●遺跡、奈良県●●●遺跡など
- ②●●●:日常生活に不便な山頂や山腹に立地(戦争に備えた逃げ城か?)香川県紫雲出山遺跡など瀬戸内沿岸・西日本に多く分布
2 中国との交渉
- 紀元前1世紀:倭が百余国に分立、漢(前漢)が朝鮮半島北部(現ピョンヤン付近)中心に設けた●●●郡に定期的に使者を派遣
史料チェック: 資料名:●●●
「夫れ●●●海中に倭人有り。分かれて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。」 - 1〜2世紀
- ①57年:建武中元二年、奴国王が後漢の都●●●に遣使、皇帝の●●●から印綬(金印)を授受 奴国は現在の●●●市付近の小国(江戸時代、●●●と刻まれた印綬を福岡県●●●で発見)
- ②107年:安帝の永初元年、倭国王帥升が●●●(奴隷)160人を安帝に献上
- ③桓帝・霊帝の間(147〜189年):倭国が大乱(環濠集落の出現などと関連)
史料チェック: 資料名:●●●
建武中元二年、倭の●●●国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。●●●、賜ふに印綬を以てす。
安帝の永初元年、倭の国王●●●等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。桓霊(桓帝と霊帝)の間、倭国大いに乱れ、更 相攻伐して歴年主なし。
旧石器・縄文・弥生文化の特色の比較
旧石器・縄文・弥生文化の特色
旧石器文化 | 縄文文化 | 弥生文化 | |
自然 環境 | 乾燥・寒冷=針葉樹林 | 湿潤・温暖=東日本は落葉広葉樹林、西日本は照葉樹林 海面上昇(縄文海進)で入江が多くなる |
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大型動物=ナウマンゾウ・オオツノジカ・マンモス・ヘラジカ | 中・小型動物=ニホンシカ・イノシシ・鳥類 | ||
経済 ・ 社会 | 狩猟・採取 | 採取・狩猟・漁労 貧富・身分の差はまだない | 水稲耕作・採取・狩猟・漁労=豚の飼育なども貧富・身分の差が発生=各地に小国の分立 |
道具 | 石器時代=打製石器 打製石斧・ナイフ形石器・尖頭器・末期に細石器など | 石器時代=打製石器と磨製石器 石鏃・石匙・石皿・磨製石斧 石槍・弓矢=中・小型動物を捕らえる 骨角器=釣針・銛・やす・土錘・石錘, 丸木舟 貯蔵穴=採取した木の実などの保存 | 鉄器時代=鉄器 武器・実用の工具。のちに鉄鎌・鉄斧 青銅器=祭器・宝器・装身具など 磨製石器=磨製片刃石斧・石包丁・紡錘車 木製の鍬・鋤・田下駄、木臼・竪杵 |
縄文土器=低温で焼かれ、厚手・黒褐色・縄目の文様 | 弥生土器=薄手・赤褐色 | ||
住居 ・ 衣服 | 移動=一定の範囲内を移動 簡単なテント式の住居。洞穴・岩陰を一時的に住居として利用 | 定住=竪穴住居(中央に炉を設置。1戸に数人から10人程度) 湧き水の得られる台地上に集落を形成(環状集落が主) 海岸近くの集落には貝塚が見られる | 定住=竪穴住居に住み、掘立柱の高床倉庫を利用(穀物保管) 環濠集落と高地性集落 男は袈裟衣、女は貫頭衣を着用 |
墓制 ・ 宗教 | 未解明 | 屈葬=手足の関節を折り曲げて埋葬 共同墓地(貝塚はゴミ捨て場兼埋葬場) アニミズム(精霊崇拝) 土偶・土版・石棒など呪術的遺物 抜歯や叉状研歯の風習 | 伸展葬=手足を伸ばして埋葬 九州北部に甕棺墓・箱式石棺墓・支石墓。東日本に再葬墓各地に土壙墓・木棺墓・壺棺墓・方形周溝墓 弥生後期に西日本で大きな墳丘墓 農耕儀礼が発達 |
日本の遺跡

邪馬台国連合
1 中国の情勢
後漢滅亡(220) 三国時代(魏・呉・蜀)へ
2 3世紀の倭国
三国時代の歴史書●●●に邪馬台国に関する記述あり
- 後漢末に楽浪郡の南半を割いて設けた●●●郡(現ソウル付近)から、女王●●●が支配する●●●への里程を記述
- 大人と下戸などの身分差あり、租税・刑罰の制度、市で交易との記述
- 2世紀後半の大乱後、卑弥呼の邪馬台国を中心に小国連合を形成
- 卑弥呼は鬼道(呪術)に長じ、呪術的権威を背景に統治
- 景初2年(3年 239年の誤り)、卑弥呼は大夫難升米らを帯方郡を経由で、魏の都●●●に派遣 ●●●の称号や多数の銅鏡などを賜る
- 卑弥呼の死後、男王擁立で国内が再び混乱 卑弥呼の宗女(同族の女性)である●●●擁立で混乱が収束
266年、晋に倭の女王(壱与か)が使いを送ったとの記述(『晋書』)を最後に、その後約150年間、日本に関する記載が中国の歴史書から姿を消す
史料チェック: 資料名:●●● 陳寿が著述
「倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。旧百余国、漢の時朝見する者あり。今使訳通ずる所三十国。 郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、 邪馬台国に至る。女王の都する所
女王国より以北には、特に一大率を置き、検察せしむ。諸国これを畏憚す。 ●●●、大人と道路に相逢へば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、或いは蹲り、或いは跪き、両手は地に拠りこれが恭敬を為す。
其の国、本亦男子を以て王と為す。住まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐しえ年を歴たり。乃ち共に一女子を立てて王と為す。名を●●●と曰ふ。鬼道を事とし、能く衆を惑はす。年巳に長大なるも、夫婿なし。男弟有り、佐けて国を治む。
景初二年(●●●年)六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡(●●●郡)に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。 その年十二月、詔書して倭の女王に報じて曰く、「 今汝を以って●●●と為し、金印紫綬を仮し 銅鏡百枚 を賜い 」
卑弥呼以って死す。大いに冢を作る。 更に男王を立てしも、国中服せず。更々相誅殺し、当時千余人を殺す。復た、卑弥呼の宗女壱与、年十三なるを立てて王と為す。国中遂に定まる。
この時に下賜された銅鏡との説もある近畿地方で出土数の多い周縁部が三角形をした銅鏡を「●●●」と云う

3 邪馬台国論争
邪馬台国の所在地をめぐり、近畿説と九州説が対立