稲の伝播ルート 2.農耕社会の成立
稲の伝播ルート©世界の歴史まっぷ

2「農耕社会の成立」まとめ

日本史 > 第I部 原始・古代 > 第1章 日本文化のあけぼの


小国の分立

小国の分立

1 集落間の争い

  1. 強大な集落が縮小集落を統合 「ムラ」から「クニ」へ
  2. 防御的機能を有する集落の出現
    • ●●●:周囲に濠や土塁をめぐらす。佐賀県●●●遺跡、奈良県●●●遺跡など
    • ●●●:日常生活に不便な山頂や山腹に立地(戦争に備えた逃げ城か?)香川県紫雲出山遺跡など瀬戸内沿岸・西日本に多く分布

2 中国との交渉

  1. 紀元前1世紀:倭が百余国に分立、漢(前漢)が朝鮮半島北部(現ピョンヤン付近)中心に設けた●●●郡に定期的に使者を派遣
    史料チェック: 資料名:●●●
    ●●●海中かいちゅう倭人わじん有り。分かれて百余国とる。歳時さいじもって来り献見けんけんすとふ。」
  2. 1〜2世紀
    • 57年建武中元二年、奴国王が後漢の都●●●に遣使、皇帝の●●●から印綬(金印)を授受 奴国は現在の●●●市付近の小国(江戸時代、●●●と刻まれた印綬を福岡県●●●で発見)
    • ②107年:安帝の永初元年、倭国王帥升すいしょう●●●奴隷)160人を安帝に献上
    • 桓帝かんてい霊帝れいていの間(147〜189年):倭国が大乱(環濠集落の出現などと関連)
      史料チェック: 資料名:●●●
      建武中元二年、倭の●●●国、貢を奉じて朝賀ちょうがす。使人自ら大夫たいふと称す。倭国の極南界なり。●●●、賜ふに印綬を以てす。
      安帝の永初元年、倭の国王●●●等、生口百六十人を献じ、請見せいけんを願ふ。桓霊(桓帝と霊帝)の間、倭国大いに乱れこもごも 相攻伐あいこうばつして歴年主なし。

旧石器・縄文・弥生文化の特色の比較

旧石器・縄文・弥生文化の特色

旧石器文化縄文文化弥生文化
自然
環境
乾燥・寒冷=針葉樹林
湿潤・温暖=東日本は落葉広葉樹林、西日本は照葉樹林
海面上昇(縄文海進)で入江が多くなる
大型動物=ナウマンゾウ・オオツノジカ・マンモス・ヘラジカ中・小型動物=ニホンシカ・イノシシ・鳥類
経済

社会
狩猟・採取採取・狩猟・漁労
貧富・身分の差はまだない
水稲耕作・採取・狩猟・漁労=豚の飼育なども貧富・身分の差が発生=各地に小国の分立
道具石器時代=打製石器
打製石斧・ナイフ形石器・尖頭器・末期に細石器など
石器時代=打製石器と磨製石器
石鏃・石匙・石皿・磨製石斧
石槍・弓矢=中・小型動物を捕らえる
骨角器=釣針・銛・やす・土錘・石錘, 丸木舟
貯蔵穴=採取した木の実などの保存
鉄器時代=鉄器
武器・実用の工具。のちに鉄鎌・鉄斧
青銅器=祭器・宝器・装身具など
磨製石器=磨製片刃石斧・石包丁・紡錘車
木製の鍬・鋤・田下駄、木臼・竪杵
縄文土器=低温で焼かれ、厚手・黒褐色・縄目の文様弥生土器=薄手・赤褐色
住居

衣服
移動=一定の範囲内を移動
簡単なテント式の住居。洞穴・岩陰を一時的に住居として利用
定住=竪穴住居(中央に炉を設置。1戸に数人から10人程度)
湧き水の得られる台地上に集落を形成(環状集落が主)
海岸近くの集落には貝塚が見られる
定住=竪穴住居に住み、掘立柱の高床倉庫を利用(穀物保管)
環濠集落と高地性集落
男は袈裟衣、女は貫頭衣を着用
墓制

宗教
未解明屈葬=手足の関節を折り曲げて埋葬
共同墓地(貝塚はゴミ捨て場兼埋葬場)
アニミズム(精霊崇拝)
土偶・土版・石棒など呪術的遺物
抜歯や叉状研歯の風習
伸展葬=手足を伸ばして埋葬
九州北部に甕棺墓箱式石棺墓支石墓。東日本に再葬墓各地に土壙墓・木棺墓・壺棺墓・方形周溝墓
弥生後期に西日本で大きな墳丘墓
農耕儀礼が発達
参考:新詳日本史―地図資料年表

日本の遺跡

日本の遺跡
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