3 平城京の時代 渤海 遣唐使 7〜9世紀の東アジアと日唐交通の地図
7〜9世紀の東アジアと日唐交通の地図

3 「平城京の時代」まとめ1/2 - 遣唐使・奈良の都平城京・地方官衙と「辺境」

第2章 律令国家の形成 > 日本史 > 第I部 原始・古代


平城京の時代

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平城京の時代

遣唐使

1 唐との交流

  1. 630年の第1回遣唐使(正使:犬上御田鍬いぬかみのみたすき)の派遣から、894年に●●●の建議で廃止されるまで、約260年間にわたり交流
  2. 8世紀には大規模化:4隻でほぼ20年に1度派遣 別称「よつのふね」
  3. 航路
    • ①初期(7世紀):朝鮮半島沿岸を経由する●●●を航行
    • ②中期以降(8〜9世紀):●●●との関係悪化で、東シナ海を横断する危険な南路(一部南島路)に変更 遭難多発
  4. 主な渡航者
    • 奈良時代:留学生の●●●と僧●●● のち聖武天皇が重用
      ●●● 唐の玄宗皇帝が重用、李白・王維おういらと交流、唐で死去
      「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に出でし月かも(阿倍仲麻呂)」
      ●●● 中国から渡海の律宗の僧、日本に正式な戒律を伝える。ほかに山上憶良、藤原清河(藤原房前ふささきの子、唐で客死)ら
    • 平安初期:僧侶の●●●空海円仁えんにん最澄の弟子)ら
  5. 唐の疲弊 遣唐使停止
    8世紀半の安禄山あんろくざん史思明ししめいの乱(安史の乱)、9世紀の黄巣の乱(唐朝末期の農民反乱)で唐が疲弊 894年、菅原道真の建議で停止

2 その他の交流

遣唐使をしのぐ回数の交流

  1. 新羅:初期には交流盛ん 日本が新羅を従属国として扱おうとし関係悪化(奈良時代に一時、新羅への出兵計画 中止)
    8世紀末、遣新羅使減少、民間商人の往来は盛ん
  2. ●●●:中国東北地方に旧高句麗人や靺鞨まっかつ族が建国
    唐・新羅との対抗上、日本へ頻繁に使節派遣(727年以降)
    日本も新羅との対抗上、友好的に交流 能登客院(石川県)や松原客院(福井県)で厚遇、渤海は毛皮・薬用人参をもたらす
渤海 遣唐使 7〜9世紀の東アジアと日唐交通の地図
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平城京条坊図
平城京条坊図(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
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