3 平城京の時代 渤海 遣唐使 7〜9世紀の東アジアと日唐交通の地図
7〜9世紀の東アジアと日唐交通の地図

3 「平城京の時代」まとめ1/2 - 遣唐使・奈良の都平城京・地方官衙と「辺境」

日本史 > 第I部 原始・古代 > 第2章 律令国家の形成


奈良の都平城京

奈良の都平城京

1 平城京の概要

  1. 710年、藤原京から平城京へ遷都●●●天皇(女性天皇)の時
  2. 唐の長安にならい条坊制により整然と区画、城壁なし
  3. 中央を南北に走る朱雀大路すざくおおじで、東の●●●と西の●●●に区分
  4. 北部中央に平城宮(宮城):内裏(天皇の住居など)や大極殿だいごくでん朝堂院ちょうどういん(政務・儀式を行う)などを配置。宮城付近に長屋王などの貴族の邸宅
  5. 下級官人の小規模住居は宮城から遠い八条以南の地域に分布
  6. 南部七大寺(東大寺・興福寺など)と称する大寺院の多くが平城京内に建立

2 官営市と貨幣鋳造

  1. 左・右京にそれぞれ官営の市 ●●●が監督
  2. ●●●:708年、武蔵国から銅の献上をきっかけに年号を「和銅」と改元。唐の開元通宝にならい、銀銭と銅銭をあわせて鋳造し、都の造営費用などに利用(貨幣鋳造は7世紀の富本銭が最初)
  3. ●●●:銭の流通促進のため711年に発令するも、京・畿内以外ではほとんど流通せず
  4. ●●●:和同開珎から平安初期の乾元大宝までの、国家により鋳造されたあわせて12種の銭貨の総称
    史料チェック:律令制度 ●●●
    (和銅四年)詔して曰く、「夫れ銭の用たる、財を通じ有無を貿易する所以なり。当今百姓なほ習俗に迷ひて、未だ其の理を解せず。僅かに売買すといえども、なお銭を蓄ふる者無し。其の多少に随ひて節級して位を授けむ (『続日本紀』)」
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