フビライ・ハン(ドラマ)
アジアからヨーロッパにまで及ぶ大帝国を築いた英雄、フビライ・ハンの生涯を描いた全50話の歴史ドラマ。
「レッドクリフ」で趙雲を演じたフー・ジュン。歴史を感じさせるスケール感と迫力のアクションで、フビライ・ハンがいかにして中国を統一していったかを描く。
フビライ・ハン(ドラマ)
ストーリー
1215年、戦乱期のモンゴル草原地帯に生を受けたフビライ・ハン。モンゴル帝国第3代皇帝(大ハーン)であるオゴタイが亡くなり混乱が続く中、成長したフビライは才能のある人物を登用し、戦乱を勝ち抜いていった。彼は後の元王朝創始者たる実力と勢力を、着実に強めていく。
チンギス=ハン家略系図
黄金家族(ボルジギン氏) ボルジギン氏 – 世界の歴史まっぷ
登場する歴史上の人物
チンギス=ハン
チンギス=ハン (1162年〜1227)
モンゴル帝国創始者。モンゴル帝国初代皇帝(在位:1206年〜1227年)。
モンゴルの遊牧民諸族を統一して中央集権国家を築き、第一次対金戦争(1211年〜1215年)で成功を収めて東アジア最強の帝国に成長した。
チンギス=ハンの西征の一連の戦闘によって西方のホラズム・シャー朝を降し、中央アジアを傘下に入れたモンゴル帝国は、名実ともに当時のユーラシア大陸で最強の国家となり、遠く西ヨーロッパまでその名を知られることとなった。1225年に帰還した。
長男ジョチに南西シベリアから南ロシアの地まで将来征服しうる全ての土地、次男チャガタイに中央アジアの西遼の故地、三男オゴタイ=ハンに西モンゴルおよびジュンガリアの支配権を与え、四男トルイは末子相続によりチンギスの死後に本拠地モンゴル高原が与えられる事になっていたが、ハーン位の後継者には温厚な三男のオゴタイ=ハンを指名していた。
オゴタイ=ハン
オゴタイ=ハン (1186年〜1241年)
チンギス=ハンの三男。モンゴル帝国第2代大ハーン。1241年、病死。
チンギス=ハンが即位した時にウルス(オゴタイ=ハン国)を与えられた。オゴタイ=ハンが即位すると、カラコルムを都として移り、オゴタイ=ハン国は長男グユクに譲られた。
オゴタイ=ハンは生前、第一皇后ボラクチンとの間に儲けた三男のクチュを後継者に定めていたが、陣没したため、クチュの長男シレムンを寵愛して自らの後継者として宮中で養育していた。
ドレゲネ
ドレゲネ (不詳〜1246年)
モンゴル帝国の第2代皇帝オゴタイ=ハンの第6皇后。グユクの母。
オゴタイ=ハンの死後、自分の息子・グユクを大ハーンにしようと狂奔し、自らモンゴル帝国の監国となり帝国の実権を掌握した。
1246年、息子のグユクを大ハーンに即けることに成功したが、ドレゲネの政治工作による強行的なグユク擁立は、特に東欧遠征中に反目を起こしていたバトゥやモンケなど、多くの人物から不満があがり、その後のモンゴル帝国分裂の一因になった。
グユク
グユク (1206年〜1248年)
第2代大ハーン・オゴタイ=ハンの長男。モンゴル帝国第3代大ハーン。
父・オゴタイ=ハンの死後、母・ドレゲネが監国となって帝国の実権を掌握し、息子・グユクの即位を工作した。
史実では、インノケンティウス4世(ローマ教皇)の使節としてプラノ・カルピニのジョヴァンニ修道士がこのグユク選出のクリルタイに参加し、その様子を教皇庁に提出した報告書『モンゴル人の歴史』に載せている。
皇后オグルガイミシュとの間に長男ホージャ・オグル、次男ナグ、三男ホクをもうけている。
モンケ
モンケ (1209年〜1259年)
トルイとソルコクタニ・ベキの間の長男。モンゴル帝国第4代皇帝。
次弟フビライにを漠南漢地大総督に任じて南宋攻略(フビライの南征)を、三弟のフレグを征西方面軍の総司令官に任じてイラン方面を侵略させた。1258年にはアッバース朝を滅ぼしている(フレグの西征)。
フビライ・ハン
フビライ・ハン (1215年〜1294年)
トルイとソルコクタニ・ベキの間の次男。モンケの死により、弟アリクブケと「モンゴル帝国帝位継承戦争」の末、モンゴル帝国第5代皇帝となる。中国へ領土を拡張し元を創始、南宋を滅ぼした。
トルイ
トルイ (1192年〜1232年)
チンギス=ハンの四男。幼少時から英邁で武勇に優れ、人望も厚かった。チンギスの正妻ボルテから生まれた末子だったため、末子相続の慣行に従って父の死までウルスの分封を受けずにその手元にもつ、帝国の最有力皇族であった。
1227年、チンギスが没すると父の所有していた家産と直轄ウルスの101個千人隊に相当する部民、軍隊のすべてを相続し、親族中で飛びぬけた財力と軍事力を獲得、後継の大ハーン選出まで帝国の政務を代行する監国の地位についた。そして2年後、後継の大ハーンの選出にあたっては自身の即位を固辞し、父チンギスが生前に後継者に定める意向を示していたという兄オゴタイ=ハンを第二代大ハーンに推し、即位させた。
オゴタイ=ハンが即位すると、4個千人隊のウルスしか所有しない兄オゴディに、自身のウルスの大部分の指揮権を譲り、その一将軍に甘んじた。
オゴタイ=ハンを中心に金に対する作戦が再開されると、右翼軍の司令官として金朝との最終戦争に参戦して金領西部の山間部に侵攻し、1232年に完顔陳和尚率いる金軍を三峰山の戦いで破って金の主力を壊滅させる戦功をあげた。
しかし、オゴタイ=ハンの本軍と合流して帰還する途上、モンゴル高原に至ったところで急死した。深酒のためと言われるが、『元朝秘史』、『集史』、『元史』などのトルイの子孫の政権で編まれた諸史料は、いずれも「病に罹ったオゴタイ=ハンの身代わりとなるために、呪いの掛かった酒を飲み干して死んだ」とする逸話を伝える。トルイの急死を、弟の人望と功績を恐れた兄オゴタイ=ハンによる謀殺とみる説もある。
トルイの莫大な遺産はケレイト部族出身の妃ソルコクタニ・ベキを経て、両人の息子モンケ、フビライ、フレグ、アリクブケの4子に継承され、のちの大元、イルハン朝の基盤となった。
チャブイ
チャブイ (不明〜1281年)
フビライの后妃(第一オルド)。史実では、コンギラト部族の出身で、父のアルチ・ノヤン(按陳那顏)はチンギス=ハンの第一夫人ボルテの弟。
伯母ボルテの孫にあたるフビライと結婚し、夭折したドルジと、後にフビライ政権で活躍するチンキム、マンガラ、ノムガンの4子を産んだ。同母姉が嫁いだジャライル部のムカリの子・ボオルの三男バアトルはフビライの腹心となり、1259年のモンケ死後のフビライのカアン位奪取に功があった。またチャブイ自身、その宮廷(オルド)にアフマド・ファナーカティーら有能な商人を個人的な用人に集めて利殖を行い、財産を蓄えて勢力があった。
フレグ
フレグ (1218年〜1265年)
トルイとソルコクタニ・ベキの間の三男。
1253年、兄のモンゴル帝国第4代皇帝モンケの勅命により西征軍総司令に任命され、イラン方面総督であったアルグン・アカ以下アムダリヤ川以西の帰順諸政権を掌握し、ニザール派、アッバース朝、シリア、アナトリア、エジプト諸国を征服すべく出征した(フレグの西征)。
アリクブケ
アリクブケ
トルイとソルコクタニ・ベキの間の四男。
ハイドゥ
ハイドゥ(ハイドゥ)は、チンギス・ハーンの三男オゴタイ=ハンの五男カシンの子。
モンゴル帝国帝位継承戦争ではアリクブケに与した。
史実では、30年以上にわたってモンゴル皇帝(大ハーン)、フビライ率いる大元朝と対立し、中央アジア以西のモンゴル諸勢力のモンゴル皇帝権力からの分離独立を決定づけた。このハイドゥの一連の行動は一般に「ハイドゥの乱」と呼ばれる。
ハイドゥの支配地域はジュンガリアのオゴタイ=ハン・ウルス(いわゆるオゴタイ=ハン国)を中心に、東はアルタイ山脈東麓のアリクブケ家のウルス、北はトゥヴァ地方のオイラト部族、西はイリ川流域のチャガタイ・ウルスからトランスオクシアナに至り、アム川でイルハン朝と境を接する広大な領土に広がった。ハイドゥが実効支配したイリ方面やマー・ワラー・アンナフルなどの領域を、ペルシア語史料では「ハイドゥの王国」と呼んでおり、これに従って、このハイドゥの国家を歴史家は「ハイドゥ王国」、「ハイドゥ・カン国」、「ハイドゥ・ウルス」などと呼んでいる。
テムゲ・オッチギン
チンギス=ハンの末弟。チンギスから特に愛され国王の称号を与えられた。
モンゴル帝国第2代大ハーン・オゴタイ=ハンが没すると、オッチギンはハーンの位を求め、軍隊を率いてオゴタイ=ハンの皇后たちのオルドに向かった。しかし、皇后ドレゲネに阻まれ、征西から帰国したグユクがエミルに到着した報告を聞くと帝位を断念する。
オゴタイ=ハン、それに続くチャガタイの急死に、オッチギンの関与を疑う意見も存在する。
グユクの即位後、オッチギンは先に行った帝位の簒奪について、トルイ家のモンケとジョチ家のオルダから審問を受けた。オッチギンの配下の将校たちを処刑することで裁判は決着し、判決の直後にオッチギンも没した。
ジョチ
ジョチ (1177年頃〜1225年)
チンギス=ハンの長男。ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の始祖。チンギス=ハンが即位し、モンゴル帝国をおこすにあたってウルスを与えらた。
父・チンギス=ハンに先立って死去。
バトゥ
バトゥ (1207年〜1256年)
ジョチの次男。ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)第2代君主。
チャガタイ
チャガタイ (1185年頃〜1242年)
チンギス=ハンの次男。金討伐や大西征に従軍し、オトラル攻略などで戦功を挙げたことから、西遼の旧領を与えられ、後のチャガタイ・ハン国の祖となった。
長兄ジョチとは、ジョチの出生の疑惑などをめぐって険悪な仲であった。チャガタイ自身が激しい気性と一本気な性格の持ち主であったため、一族の和を重んじる父チンギスから後継者候補としては除外されていたという。しかし、法に対して厳格な一面があったため、それを父に見込まれてモンゴル帝国の法律(ヤサ)の管理を任され、「ヤサの番人」の異名を取った。
コデン
コデン (生没不詳)
第2代大ハーン・オゴタイ=ハンの次男。
末子相続の慣習に基づきチンギスの四男であるトルイが帝国のモンゴル遊牧民群の大半の支配権を相続・保持していたが、トルイが早世すると、オゴタイ=ハンは次男のコデンにトルイの後裔に相伝されるべき領民のうち4個千人隊を割いてコデンに与え、涼州の平原から河西回廊東部にかけての西夏の故地(現在の甘粛省一帯)を勢力圏とさせた。モンケの治世でもこのタングート(西夏、河西地方)の所領を安堵され、コデンとその子孫は、オゴタイ=ハン国(ウルス)とは別に甘粛地方に遊牧民のウルスを形成した。
コデンの在世中、その支配圏は東の陝西、南のチベットにまで及んだ。1239年にはコデン率いるモンゴル軍はカム地方からチベットに侵攻し、中央チベットでは仏教寺院を焼くなど猛威をふるった。
耶律楚材
耶律楚材 (1190年〜1244年)
遼(契丹)の太祖耶律阿保機の末裔とする宗族出身の契丹人。漢化し金(王朝)で官僚を務めていた。モンゴル帝国の第一次対金戦争で捕虜となるがチンギス=ハンに召し出されてモンゴル帝国に仕え功績をあげる。トレゲネが監国となると官職を解かれた。
劉秉忠
劉秉忠(1216年〜1274年)
法号は子聡。雲中(山西省大同)で臨済宗の海雲禅師の元に出家していたが禅師の推挙でフビライ・ハンに仕える。
漢人を治めるモンゴル人のフビライの元で、漢風制度の王朝整備など、主に行政面で主要な役割を果たした。1264年に還俗して光禄大夫に任命された。
郝経
郝経は沢州出身。儒者の家に生まれたが、金末の騒乱にあって労苦ののち、張柔、賈輔の客分となった。皇太子時代のフビライに召されて信任をえ、ともに対南宋戦に参加した。この征戦の最中,憲宗が死没するが、この時、カラコルムに留まり国政にあたっていたアリクブカの帝位簒奪を阻止するため、郝経は南宋との講和を献策し,フビライの即位に貢献した。そしてフビライ即位の直後,外交交渉のため南宋に派遣されたが、賈似道によって長江(揚子江)北岸の真州に16年間抑留された。
ソルコクタニ・ベキ
ソルコクタニ・ベキ 1192年頃〜1252年
トルイの正室。 モンケ、フビライ、フレグ、アリクブケの実母。
五公主
チンギス=ハンの娘。トルイの妹。チャブイの母。史実では、同族であるオルクヌウト氏族でボルテの弟アルチ・ノヤンの長男チグウ・キュレゲンに嫁ぐ。
ガイミシュ
ガイミシュ (不明〜1251年)
グユクの皇后。グユク没後監国となり、グユクとの子ホージャ・オグルを後継者におきたかったが失敗し、モンケが即位した。
シレムン
オゴタイ=ハンの三男クチュの子。
董文用
董文忠と董文用は兄弟でフビライに仕えた漢人。
耶律鉉
耶律楚材の子。
姚枢
姚枢 (1200年〜1280年)
フビライの漢人参謀。
ボオルチュ
チンギスに仕えた続けたモンゴル帝国草創期の第一等の勲臣。四駿四狗のひとり。
スブタイ
チンギスに仕えた続けたモンゴル帝国草創期の第一等の勲臣。四駿四狗のひとり。
チラウン
チンギスに仕えた続けたモンゴル帝国草創期の第一等の勲臣。四駿四狗のひとり。
シバン
ジョチの子、バトゥの弟。ジョチ・ウルスの北東部を所領。コデンとともにフビライを慕う。
モゲ
トルイの八男。モンケ、フビライ、フレグ、アリクブケの異母弟。モンケが親征の途上に四川の釣魚山で亡くなると、モゲはいち早くフビライに使者を派遣して北方モンゴリアに戻り、カーン位に即くよう進めた。
アラムダル
邢州の徴税吏。ドレゲネの奸臣。当作の中ではイェスタイの父。
各話エピソード
第1話
西暦1215年の中国大陸はモンゴル、宋、金の3大勢力が覇権を争っていた。チンギス・ハンは四男・トルイらを従え金へ進攻を開始。しかし、両軍が激戦を繰り広げる中、トルイの軍営は金軍の奇襲を受けてしまう。
1219年〜1223年 モンゴルのルーシ侵攻(チンギス=ハンの西征)
1226年 第五次西夏遠征
1225年 ジョチ死去。
第2話
モンゴル軍は、西夏の都・中興府を攻め落とすことに成功。その直後、チンギス・ハンの元へ早馬が到着。それは長男・ジョチの急逝を知らせるものだった。チンギス・ハンは突然の訃報に打ちひしがれる。
1227年 チンギス=ハン死去
第3話
思い人であったイナの突然の死から立ち直れずにいたフビライ。それを心配した母・ベキは、息子に妻をめとらせようと提案する。相手となるチャブイは夫・トルイの妹である五公主の娘で、評判の美人だった。
1230年~1234年 第二次対金戦争(史実ではオゴタイ=ハンを中心としてトルイ、テムゲ・オッチギンなどの帝国の有力者が揃って戦った。)
フビライは南宋の宰相王淮に通行許可を求める。南宋の武将王堅と宋世廷と出会う。互いの勇猛さを知り敵に回したくないと感じる。
第4話
金軍への奇襲を企てたグユクたちは逆に敵の要撃を受ける。大ハーン・オゴタイ=ハンは息子の援軍要請に応じ、少なくなった兵の中から精鋭を集めて救援に向かわせるが、ボオルチュ率いるその援軍も金軍の襲撃に遭う。
オゴタイ=ハンの失策によりボオルチュ死去。(史実ではボオルチュの没年は不明。)
1232年 三峰山の戦いでトルイ家が活躍。
第5話
フビライがバオインを殺した疑いで軟禁された。罪なき民を殺したバオインを捕縛しようと追っていた中での事故だった。バオインは一介の商人だったが、皇后・トレゲネの命を受けて徴税の仕事を任されていた。
1232年 トルイ死去。
第6話
「毒を盛ったトルイの容体はどうなっているのか」。詳しい情報を得ることができず、業を煮やしたトレゲネは見舞いと称して自らトルイの元を訪れた。しかし、彼の長男・モンケに門前払いされてしまう。
第7話
大ハーンは「お前がトルイの死に関わっているといううわさを聞いた」と皇后を問いただす。なぜトルイの薬が町から消えたのかなどの疑惑に対し、トレゲネは貞淑な妻としての顔を崩すことなく答えを返した。
第8話
トレゲネの言葉はベキとフビライの殺害を暗示していた。邪魔者を消し、息子・グユクをハン位に就けようとの魂胆だ。トレゲネはためらうグユクにある指示を与える。翌日、皇宮の庭ではささやかな酒宴が催されていた。
第9話
フビライと劉秉忠がたどり着いた李家村は見るからに困窮を極めていた。何者かに襲われて命を落とし、葬られることもなくさらされた遺体がある。ようやく見つけた村人から話を聞いた2人は、災厄の元凶を知った。
フビライは邢州を統治するため海雲禅師に協力を求めるが、子聡(劉秉忠)を推挙される。
董文忠
第10話
盗賊たちを倒したフビライは、いよいよケイ州の統治へと乗り出す。フビライは劉秉忠の助言に従い、農耕の改革を最優先事項に掲げた。そして、汚職の一掃が急務だと考えた彼は、汚職役人を一斉に解任する。
邢州の徴税吏アラムダル 娘イェスタイはモンケと結婚する
シリ様とバダズ様2王の天下
フビライとチャブイが夫婦となる。
第11話
漢人が多く住む土地に適した政策を進めるフビライの方針が奏功し、ケイ州の統治は順調に進んでいたが、皇后・トレゲネはモンゴルの伝統とは異なるやり方を批判。フビライも一歩も引かず、2人は激しく火花を散らす。
第12話
皇后からの書状を一読するやフビライは顔色を変え、モンケの軍営へと駆け付ける。彼がにらんだ通り、モンケは彼らの母・ベキをグユクに嫁がせようとしているトレゲネのやり口に激怒し、挙兵しようとしていた。
1241年 オゴタイ=ハン死去。本作ではトレゲネの奸臣フキが毒をもったと描かれているが、史実ではトレゲネの奸臣の名は、悪評の人物として名高いアブドゥッラフマーンとされ、『元史』「奸臣伝」に連なる。
第13話
大ハーン・オゴタイ=ハン崩御の知らせが密偵を通じてグユクたちにもたらされた。皇后・トレゲネ討伐のために行軍中だったグユクは、すぐに帰営を決断。一方、トレゲネの動きを警戒したフビライは単身カラコルムへ向かう。
大断事官クトゥクは、史実ではチンギス=ハンの実母ホエルンの養子とされている人物。
1241年 トレゲネが監国となる。
第14話
万策を尽くし、政権を奪い取ったトレゲネ。オゴタイ=ハン家との権力闘争を避けることができ、ベキらトルイ家の兄弟たちはひと時の平穏に安堵した。しかし、監国となったトレゲネはいずれトルイ家を潰す決意を固めていた。
第15話
無邪気に相撲を取る2人の孫を前に目を細めるトレゲネだったが、抜け目のない彼女はどちらが大成するかを見極めていた。勝つことに執着し、知恵を働かせるハイドゥを有望と見たトレゲネは、教育係にフチを任命する。
1244年 耶律楚材死去。
第16話
グユクは監国である母からも妻・ガイミシュからも諌められて憤るばかり。ガイミシュはさらに「親子で反目しないで」と告げ、グユクにできるはただ妻を罵ることだった。トレゲネは、スブタイ将軍を訪ね…。
1248年 スブタイ死去。
第17話
ガイミシュは監国からの指示だと偽りフチに堕胎薬を調合させたが、本当の狙いはグユクとの子だった。グユクが意を決して薬を飲もうとした時、ガイミシュが問いただされ、苦しい胸の内をぶちまける。
第18話
フビライが「私もグユク王子を大ハーンに推挙します」と発したため、会議場は賛辞や罵声が飛び交い、騒然となった。しかし、トルイ家の主であるベキまでもがグユクを大ハーンに推薦し、衆議は決した。
1243年 フビライと皇后チャブイに真金誕生する。
1246年 グユクがモンゴル帝国第3代大ハーンに即位。史実では、ドレゲネはグユクの即位を見届けるとその2ヶ月後には病死したとある。
第19話
チャブイが無事出産したとの知らせを受け、彼女の両親がケイ州王府へ赴く。2人は孫の誕生を喜ぶが、モンケの妻・イェスタイが「フビライは側室を迎えるべきだ」と水を差し、チャブイの母と口論になってしまう。
第20話
騎馬隊の列の前に飛び出したカク沁を間一髪のところでシレムンが救った。カク沁の兄で高名な儒学者・カク経は今、牢の中だと言う。頼る者のいない彼女は、フビライに兄を助けてほしいと直談判するつもりだった。
第21話
カク経を配下に加えたいフビライは自ら牢の中へと赴き、「天下の民のために力を貸してほしい」と辛抱強く説得を続けていた。やがて、その熱意に折れたカク経は一つの要求をのんでくれれば力を貸そうと申し出た。
第22話
アリクブカは妓楼に通い詰め、酒と女に溺れていた。海雲大師が諌めても聞く耳を持たず、フビライへの憎悪を募らせるばかり。さらにアリクブカは、「安陽の税を倍にして田畑の半分を牧草地に変えろ」と命じた。
第23話
大ハーン・グユクは静養を口実に10万の兵を引き連れ、バトゥの治めるキプチャクへと向かった。ガイミシュから事態を知らされたフビライは、戦を回避すべく董文用と文忠兄弟をキプチャクに先回りさせる。
1248年 グユク死去。
1266年 シバン死去。本作ではグユクと同時に死去しているが史実では1266年といわれている。
1248年 グユクの皇后ガイミシュが監国となる。
第24話
監国・ガイミシュの前に、数々の難題が山積みとなった。これらを全て解決する能力など彼女は持ち合わせていない。「新しい大ハーンを立てるべきだ」と声を荒らげる大臣や諸王を追い払うのが関の山だった。
ガイミシュの新政は内圧を抱えていた。保守的な諸王たちが漢人を登用するフビライのやり方に不満を訴えていたのだ。反発を恐れたガイミシュは漢人に限らずシレムン含め、フビライと関わるものは皆朝廷から追放した。この暴挙は朝廷の綱紀を乱した。また、モンゴルは深刻な干ばつに見舞われ、急を訴える上奏が山積した。治国の才に欠ける彼女に打つ手はなく、ガイミシュの無能さは大臣たちから嘲笑されるようになる。
第25話
トレゲネのゲルに乗り込んだガイミシュが「あなたの仕業ね」と言う。息子のホジャとナグとは連絡が取れなくなっていた。ナグはフビライによって救出されたが、ホジャはモンケを捕らえ反朝廷への意志を示している。
第26話
監国の座とトレゲネに勝つことに固執しているガイミシュは、フビライにある取引を持ち掛ける。彼女はフビライを大ハーンとし、同盟関係を築こうとの魂胆だった。フビライは母や兄弟たちに一部始終を打ち明ける。
第27話
チンギス・ハンの遺言書は確かに存在した。それは後継者を指名したものではなく、フビライが大ハーンの座に就くことを後押しする内容だった。フビライは「期待には背きません」と、天上の祖父と父に語り掛けるが…。
第28話
カシに率いられた反乱軍が皇宮を攻めるが、寸前に気付いたフビライは機転を働かせ反乱軍の出鼻をくじいた。両軍の死体が転がる皇宮で、倒れ伏した男に「大ハーン」と呼び掛ける女性の姿をフビライは見つける。
1251年 モンケがモンゴル帝国第4代大ハーンに即位。
モンケ即位の祝宴の夜にカシが率いた反乱軍はフビライたちに撃滅された。カラコルムを離れていたハイドゥだけがこの難を逃れた。モンケは謀反に加担した者を全員死罪とした。史実ではこの時、ガイミシュも処刑された。
フビライは新たに金蓮川の地を与えられた。
第29話
長年の悪弊を一掃しようとする大ハーン・モンケの新政は民衆の喝采を浴びた。アリクブカの報告によると兵たちの士気は高く、入隊を志願する者も後を絶たないという。新大ハーンの治世は順風満帆の滑り出しを見せたが…。
第30話
フビライはモンケから賜った新たな領地を訪れた。そこで彼は金蓮川の美しさを目にして上機嫌になる。劉秉忠によると、ここは過ごしやすい上に今後の発展も確実で、政庁を設けるのに最適な地とのことだった。
ソルコクタニ・ベキ死去。
第31話
出陣を前にモンケが大理討伐の成否を占わせたところ大吉と出た。祈祷師は「しかし、この勝利は大ハーンにとって凶事の前触れでもあります」と言い、「美しい大草原に2つの太陽が輝く」との謎めいた言葉を吐く。
1253年~1254年 雲南・大理遠征 大元帥:フビライ, 左先鋒:スブタイの子ウリヤンカダイ, 右先鋒:シレムン (史実ではシレムンは既に処刑されており、チャクラとエジルが右先鋒を務めた。)
没年不明 コデン死去。
第32話
フビライがシレムンの命を救ったことの是非をめぐってアリクブカとモゲは口論になり、そこから殴り合いに発展してしまう。モンケはこの一件で、モゲがフビライに心酔していることを目の当たりにした。
1257年 モンケはアラムダルを京兆府(西安)に派遣して皇弟フビライ・ハンの財政を厳重に調査させた。
第33話
フビライが不正を働いていた証拠を何とか探し出そうとアラムダル一行は悪戦苦闘していた。しかし、必死になって調べてみても疑惑の端緒すら見つけることができず、アラムダルたちは策を練り直す。
第34話
チャブイからの連絡が途絶えたことを不審に思ったフビライは、すぐに金蓮川へと向かう。やがて、朝廷からの命令で関所が封鎖されていたことを知り、フビライの不安はより色濃いものとなっていった。
シレムン死去。
第35話
クサアルは我が身を捧げてフビライとアリクブカの争いを終わらせようとしていた。しかし、その行為がフビライへの愛ゆえのことと見抜いたアリクブカは、クサアルを金蓮川王府へ送るよう告げた。
第36話
兵権を返上したフビライを金蓮川へ帰すことを決めたモンケ。ガイミシュはこれに猛反発を見せるが、大ハーンの決意を覆すことはできなかった。フビライが金蓮川に戻ったことで、家臣一同はほっと胸をなで下ろす。
ドレゲネ死去。
ガイミシュ死去。
第37話
トレゲネとガイミシュが相次いで逝去。邪魔者は消えたが、モンケの心は晴れない。祈祷師が残した不吉な予言が気になるが、何よりも間近に迫った南征を成功させられるかどうかにモンゴルの命運が掛かっていた。
1256年 モンゴル・南宋戦争 モンケはフビライを更迭、タガチャルを起用。釣魚城は南宋の武将王堅が固守していた。
第38話
東路軍の惨敗によって釣魚城攻略作戦は破綻し、長引く豪雨も戦況に悪影響を及ぼしていた。将軍たちは一時撤退を進言するが、フビライの反対を押し切って出陣した手前、モンケも簡単には承諾できない。
第39話
死期を悟ったモンケは深く後悔していた。つまらぬ対抗心からフビライの忠告を無視して南征へ出発し、多くの兵を失った。過ちを悔いたモンケは、「これ以上フビライと争うな」とアリクブカに告げ、息を引き取る。
1259年 モンケ死去。(釣魚城攻略中)
1258年〜1259年 鄂州の役 鄂州城は南宋の武将宋世廷が固守していた。
第40話
賈似道はモンゴル軍と和議を結ぶことを決意。王堅と宋世廷はこれに反対するが、賈似道は独断で使者を送り、領土を譲渡する取り決めを済ませてしまう。難なく鄂州を手に入れたフビライは、モンケの葬儀に参加する。
1260年 フビライの本拠地、金蓮川の開平府でフビライ支持派によるクリルタイが開かれ、フビライの大カーン即位を宣言した。6ヶ月後アリクブケは都カラコルムでクリルタイを開き大ハーンに即位した。
1260年〜1264年 モンゴル帝国帝位継承戦争 モンゴル帝国の第4代大ハーン(皇帝)モンケの死後に、モンケの一つ下の弟・フビライと、一番下の弟・アリクブケの兄弟が共に大ハーン継承を宣言したことから帝国始まって以来最大の内戦がおこる。
第41話
チラウンがスハに捕らえられたので、フビライは燕京へと赴く。大軍の到来に慌てたスハは、牢からチラウンを連れ出すと、城外に陣取ったフビライと対峙した。フビライはスハに燕京の明け渡しを求めるが…。
チラウン死去。(史実ではチラウンの死去した日付や場所は不明。)
第42話
京兆城を包囲したハイドゥは、民を扇動してチャブイを生け捕らせる作戦に出た。この動きを察知したチャブイは、捕らえていた仇敵・アラムダルを処刑し、ただちに皇宮を出て城外脱出の機会を窺った。
アラムダル死去。
五公主(チャブイの母)死去。
アルチ・ノヤン(チャブイの父)死去。
第43話
京兆が陥落した。チャブイは生き延びたが、両親とイナが犠牲となった上、いまだ城外へ出ることも叶わずにいた。これを機にフビライよりも優位に立ちたいアリクブカは、ハイドゥに命じて兄・フレグを懐柔する。
第44話
アリクブカ宛の密書からボリタ殺害に関する真相を知ったフレグは、フビライに加勢することを決断する。突如としてフレグの兵が敵に回り、アリクブカは慌てふためく。アルチの兵馬もチャブイに掌握されていた。
第45話
開平へ向かったフビライの代理として、チャブイがカラコルムの統治を任された。彼女は困窮する民と戦死者の遺族を支え、人心の安定を図ろうとし、一方で董文用と文忠の兄弟に警備の強化を命じたが…。
第46話
「劉殿の協力があれば中原の大部分を手中に収め、大業を成せましょう」と劉秉忠は李タンへの協力を承諾。これに気をよくしたアリクブカは自ら劉秉忠を訪ね、配下となってフビライ打倒に力を貸してほしいと申し出た。
第47話
「大ハーンはもちろん、李殿をも失望させません」とアリクブカに忠誠を誓った様子で李タンと密談する劉秉忠。これを盗み見たユンリンは驚き、深く失望した。李タンが去ったのを見届けた彼女は、劉秉忠の前に現れる。
第48話
「アリクブカがカラコルムを急襲した」との知らせを姚枢から受け、フビライは大軍を率いて都へと向かうが、悪天候に阻まれて行軍は遅々として進まない。この時、都はすでにアリクブカの手に落ちていて…。
第49話
カラコルムと5人の猛将を取り戻したことで、意気が上がるアリクブカ陣営の中で、ひとりフチだけが慎重に事態を見極めていた。アリクブカはフチの意見を受け、諸王を味方に引き入れて兵力を増強する策に出る。
第50話
軍営を焼き払い撤退する素振りを見せるフビライ軍への追撃命令を出すアリクブカ。1262年、フビライとアリクブカの兄弟は再び剣を交えることとなり、その最中、フビライ配下のアリハイヤがアリクブカに寝返った。