国風美術
彫刻
- 平等院鳳凰堂阿弥陀如来像 定朝作
- 法界寺阿弥陀如来像
- 高野山聖衆来迎図
- 平等院鳳凰堂扉絵 1053年前後
- 屏風土台(小野道風)
- 秋萩帖(伝小野道風)
- 離洛帖(藤原佐理)
- 白氏詩巻(藤原行成)
国風美術
美術の分野においても、9世紀までの唐風の直輸入ではなく、これを十分に消化・吸収し、日本風に洗練された美術が成立する。
絵画
絵画では、中国的な技法を用いながら、日本の風景などを題材とした大和絵が、屏風・襖に描かれた。摂関期の大和絵画家としては、巨勢金岡・飛鳥部常則らが著名だが、彼らの作品は残念ながら現存しない。
工芸
工芸の分野では、貴族が用いる調度品などに多くみられる蒔絵の技法が発達した。蒔絵とは、漆を使って文様を描き、その上に金銀などの粉を蒔きつけて模様とする装飾的な漆器で、この時代の作品では仁和寺の三十帖冊子筥などが著名である。
宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱(ほうそうげかりょうびんがまきえさっしはこ) | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum
書道
書道の分野では、9世紀の三筆に代表される唐様に対して、より穏やかで優美な書風の和様がもてはやされ、小野道風、藤原佐理、藤原行成が三蹟と称された。このうち行成の子孫は世尊寺流と呼ばれ、近世にいたるまで書道の家としての地位を保った。
建築
浄土教の流行は、その念仏の方式から美術の面にも大きな影響を与えた。建築では、現世に極楽浄土の姿を表すということから、池を中心とする庭園の正面(西側)に阿弥陀如来を安置した阿弥陀堂を配する寺院建築が発達する。
藤原道長が建立した法成寺は、その壮麗さで著名だが現存せず、その子頼通が宇治の別荘に建てた鳳凰堂を中心とする平等院が代表的な遺構として残っている。鳳凰堂の本尊は、当時の代表的な仏師定朝の作になる平等院阿弥陀如来像である。定朝は多くの需要にこたえるため、仏像の各部分を別々の工人に分担して制作させ、これを寄せ合わせて1体の像とする寄木造の技法を完成した。また鳳凰堂の扉や壁には、極楽往生をとげる人物や、彼らを迎える阿弥陀仏の姿が描かれており、これも当時の念仏のあり方を示している。なお、阿弥陀仏が往生しようとする人々を迎えに現世に来臨する姿を描いた絵画は来迎図と呼ばれており、高野山聖衆来迎図がその代表的作品として残されている。
おもな建築・美術作品
- 醍醐寺五重塔 天暦5年(951年)建立
- 平等院鳳凰堂 天喜元年(1053年)に藤原頼通が建立
- 法界寺阿弥陀堂 永承5年(1050年)頃、日野資業が自分の別荘を寺にした。承久の乱で焼失、再建。
彫刻
- 平等院鳳凰堂阿弥陀如来像 定朝作
- 法界寺阿弥陀如来像
- 高野山聖衆来迎図
- 平等院鳳凰堂中堂壁扉画 1053年前後
- 屏風土台(小野道風)
- 秋萩帖(伝小野道風)
- 離洛帖(藤原佐理)
- 白氏詩巻(藤原行成)