王政の危機
ルイ14世の晩年以来、国家財政窮乏(戦費や宮廷費)やルイ16世のアメリカ独立戦争参戦の出費などでフランス国家財政は破綻。重農主義経済学者テュルゴー、スイス銀行家ネッケルらを起用し、特権身分への課税を試みた。特権身分は反抗し、王の絶対権を制限するため全国三部会の招集を要求し、第三身分の異議申し立てもこれに加わった。財政の危機は王政の危機につながった。
王政の危機
ルイ14世(フランス王)以来宮廷の浪費や戦費、貴族たちへの年金などで支出が増え、フランスの財政は赤字を累積していった。アメリカ独立戦争の援助の20億リーブルも加わり、革命直前には財政は危機に瀕していた。ルイ16世(フランス王) LouisXVI(位1774〜92)は重農主義経済学者のジャック・テュルゴー Turgot(1727〜81)、スイスの銀行家のネッケル Necker(1732〜1804)などを財務長官に起用して財政改革を試みた。しかし、特権身分への課税という改革案は、聖職者や貴族の代表からなる名士会に拒否され、高等法院や貴族の反抗を招いた。彼らは、特権身分の立場から、王の絶対権を制限しようと、1614年以来開かれていなかった全国三部会の招集を要求した。第三身分の異議申し立てもこれに加わった。結果として、国王は彼らの間からでた三部会招集の要求を承認することとなった。財政の危機は王政の危機につながった。
革命のまえのフランスでは経済危機も深刻化していた。ブドウ酒の生産過剰がブドウ栽培業者に打撃を与え、気候の異常が1788年の穀物の不作を招き、1786年の英仏通商条約はフランス工業の不振の原因をつくった。
三部会の議員の選出は各身分ごとに、ことなった方法で実施された。第三身分では選挙人を選出し、選挙人集会が議員を選んだ。選挙をつうじて第三身分は激しい宣伝をおこなった。シェイエス神父 Sieyes(1748〜1836)は『第三身分とは何か』という大きな反響を呼んだパンフレットで、第三身分が「すべて」で唯一「国民」を代表していると主張した。また各身分や地域の要求は「陳情書」にまとめられ、三部会にもちよられた。