化政美術
浅間山図(亜欧堂田善画/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

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化政美術 絵画にはさまざまな画風が生まれ、とくに庶民に広く愛好されて発達したのは浮世絵で、18世紀半ばに鈴木春信は錦絵と呼ばれる多色刷りの浮世絵の版画を創作し、絵師・彫師・摺師の協力により、飛躍的な発展をとげた。蘭学の興隆とともに西洋画の技法や油絵具が長崎を通して伝えられて復興し、日本人による油絵の作品も生まれた。

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化政文化 化政美術

浮世絵多色刷りの浮世絵の版画(錦絵)として興隆。鈴木春信すずきはるのぶ(1725-70)
喜多川歌麿きたがわうたまろ(1753-1806)
東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく(生没年不詳)
葛飾北斎かつしかほくさい(1760-1849)
歌川広重うたがわひろしげ(1797-1858)
文人画明・清の南画の影響を受け、文人や学者が余技に描く池大雅いけのたいが(1723-76)
蕪村
谷文晁たにぶんちょう(1763-1840)
田能村竹田たのむらちくでん(1777-1835)
渡辺崋山わたなべかざん
写生画円山派:客観的な写生を重んじ、洋画の遠近法を採用。
四条派:文人画と円山派の長所を取り入れ日本画の有力な流れに
円山応挙まるやまおうきょ(1733-95)
呉春ごしゅん
西洋画日本人による油絵平賀源内ひらがげんない(1728-79)
司馬江漢しばこうかん(1747-1818)
亜欧堂田善あおうどうでんぜん(1748-1822)
小田野直武おだのなおたけ(1749-80)
絵画にはさまざまな画風が生まれ、とくに庶民に広く愛好されて発達したのは浮世絵で、18世紀半ばに鈴木春信すずきはるのぶ(1725-70)は錦絵と呼ばれる多色刷りの浮世絵の版画を創作し、絵師・彫師・摺師すりしの協力により、飛躍的な発展をとげた。
化政美術
中納言朝忠(鈴木春信筆/Sammlung H. C. Bechtler蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
寛政期には、『婦女人相十品』など多くの美人画を描いた喜多川歌麿きたがわうたまろ(1753-1806)、個性豊かに役者絵・相撲絵を大首絵おおくびえの手法を駆使して描いた東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく(生没年不詳)らが優れた作品を生み出した。
化政美術
当時三美人(喜多川歌麿筆/トレド美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
化政美術
市川鰕蔵(東洲斎写楽筆/ブルックリン美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
天保期には錦絵の風景版画が流行し、『富嶽三十六景』の葛飾北斎かつしかほくさい(1760-1849)、『東海道五十三次』の歌川広重うたがわひろしげ(安藤広重1797-1858)らが、民衆の旅への関心と結びついて人気を得た。これらの浮世絵は、ヨーロッパ印象派の画家たちにも強い影押を与えた。
葛飾北斎
『富嶽三十六景』「神奈川沖波裏」(葛飾北斎画/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
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東海道五十三次 日本橋(歌川広重筆/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
従来からの絵画では、狩野派・土佐派が行き詰まりをみせたが、18世紀半ば以降に明(王朝)・清(王朝)の南画なんがの影響を受けた文人画(南画)と呼ばれる画風がおこり、池大雅いけのたいが(1723-76)と蕪村の合作『十便十宜図』が代表作である。この画風は化政期以降、江戸の谷文晁たにぶんちょう(1763-1840)、その門人で豊後ぶんご田能村竹田たのむらちくでん(1777-1835)、渡辺崋山わたなべかざんがでて、全盛期を迎えた。
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釣便図(国宝/十便十宜帖/池大雅筆/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
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月夜山水図 紙本淡彩(田能村竹田筆/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
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八仙人図(谷文晁筆/静嘉堂文庫美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
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鷹見泉石像(国宝/渡辺崋山筆/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
『雪松図屏風』『保津川図屏風』などを描いた京都の円山応挙まるやまおうきょ(1733-95)に始まる円山派は、客観的な写生を重んじ、洋画の遠近法を取り入れて、日本的な写生画の様式をつくりあげた。
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紙本墨画竹林七賢図(円山応挙筆/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
京都の呉春ごしゅん松村月淫まつむらげっけい、1752-1811)が、文人画と円山派の長所を取り入れて始めた四条派は、温雅な筆致で風景を描き、幕末の上方豪商に歓迎された。 西洋画も、近世初期に南蛮人がもたらしたのち、一時途絶えていたが、蘭学の興隆とともに西洋画の技法や油絵具が長崎を通して伝えられて復興し、日本人による油絵の作品も生まれた。平賀源内ひらがげんない(1728-79)、『不忍池図』の司馬江漢しばこうかん(1747-1818)、『浅間山図屏風』の亜欧堂田善あおうどうでんぜん(1748-1822)、秋田藩士の小田野直武おだのなおたけ(1749-80)らが代表である。また、江漢は源内に学んで銅版画を創始した。
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木芙蓉鵁鶄図(呉春筆/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
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不忍池(小田野直武画/秋田県立近代美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
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西洋婦人図(平賀源内画/神戸市立博物館/画像出典:神戸市立博物館
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不忍之池(司馬江漢画/神戸市立博物館蔵/画像出典:文化遺産オンライン
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浅間山図(亜欧堂田善画/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain