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B.C. 421
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B.C. 420
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B.C. 418
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B.C. 413
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B.C. 413
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B.C. 403
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B.C. 403
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 400
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B.C. 390
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B.C. 387
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B.C. 384
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B.C. 380
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B.C. 375
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B.C. 372
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B.C. 369
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B.C. 367
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B.C. 367
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B.C. 362
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B.C. 361
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B.C. 356
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B.C. 356
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B.C. 350
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B.C. 350
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B.C. 350
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B.C. 350
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B.C. 347
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B.C. 338
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B.C. 336
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B.C. 336
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B.C. 334
大秦帝国 縦横 ~強国への道~
秦は「商鞅の改革」による富国強兵に成功して弱小国から大国へと成長したが、秦の第25代公・孝公の死後、旧勢力によって一番の功労者であった商鞅を処刑したところまでを描いた「大秦帝国 -QIN EMPIRE-」の続きとなる作品。孝公の嫡子である第26代公であり、秦で最初に王を称した恵文王・贏駟(えいし)の代、慣例にとらわれず、外国の優秀な人材を積極的に登用し、大胆な外交策を展開した。その結果秦は大きく発展し、巴蜀、義渠など周辺諸国を次々と征服した。恵文王(秦)が中原へ打って出た東進策は後の天下統一の礎になった。
強大化する秦に対し、魏人の縦横家公孫衍(こうそんえん)が各国に渡り唱える「合従策」に、魏人だが秦の恵文王・贏駟(えいし)に仕える縦横家・張儀は「連衡策」で打ち破っていく。
秦の恵文王・贏駟(えいし)の長男・贏蕩(えいとう)(武王)が跡を継ぐがわずか4年で急逝し、次男・贏稷(えいしょく)(昭襄王)がその跡を継ぐところまでの戦国時代中期、数百年に及ぶ戦乱を経て周の諸侯の国は、秦・斉・楚・燕・韓・魏・趙の7つの国に集約され覇権を争っていた時代、どのように秦は弱小国から強大国へ発展を遂げたのかが51話のスケールで描かれている。「大秦帝国」三部作のうちの第二部にあたる。周 > 東周 > 戦国時代
周
紀元前11世紀 - 紀元前256年西周
紀元前1027年頃 - 紀元前770年周・武王が殷を滅ぼして周王朝を開く。 東周
紀元前770年 - 紀元前256年春秋時代
紀元前770年 - 紀元前403年犬戎が周の首都鎬京を陥落。洛邑へ遷都。 戦国時代(中国)
紀元前403年 - 紀元前221年晋が韓・魏・趙(三晋)に独立。 -
B.C. 333
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B.C. 332
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B.C. 331
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B.C. 323
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B.C. 323
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B.C. 323
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B.C. 323
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B.C. 323
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B.C. 323
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B.C. 318
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B.C. 318