内乱の1世紀
紀元前133年、護民官・ティベリウス・グラックスは富者が占有している土地を没収する法を提案して元老院と対立し、殺害された。ローマ市で市民同士が血を流して争う事態となって、これよりのちほぼ100年間ローマでは内乱状態が続いた。
内乱の1世紀
グラックス兄弟
グラックス兄弟の改革
ローマ社会のこのような危機的状況を打開しようとしたのが平民派のグラックス兄弟であった。
兄ティベリウス・グラックスは紀元前133年に護民官となり、土地所有農民層を再建して軍事力を回復するために無産市民への土地配分を行うとした。彼はリキニウス・セクスティウス法を適用して、富者が占有している土地を没収する法を提案した。元老院は激しく反対し、これに対してティベリウスは慣例を破って改革を進めて殺害された。
ローマ市で市民同士が血を流して争う事態となって、これよりのちほぼ100年間ローマでは内乱状態が続くことになった。
紀元前123年、弟のガイウス・グラックスが護民官となり、兄の改革を再開した。彼は兄の失敗を繰り返さないため、騎士階級の支持を得ようとして元老院議員で構成されていた不当取得法廷に騎士を加え、アジア属州の徴税請負の任務を与えた。
また貧民に対しては安価に穀物を提供する法をつくった。しかし元老院はまたも反撃し、ガイウスも仲間多数とともに殺された。土地の配分は中止され、富者の土地買占めはとめどなく進展し、ガイウスのたてた騎士のための法と貧民への援助策のみは存続して、ローマ社会の貧富の差は拡大するばかりであった。
ガイウス・マリウス
マリウスの軍制改革・同盟市戦争
この間もローマはガリア人やアフリカのヌミディア王ユグルタと戦わなければならず(紀元前112年〜紀元前106年, ユグルタ戦争)、軍事力の低下が深刻になった。下層平民出身で有能な将軍のガイウス・マリウスは無産市民を志願させて訓練し、その兵士を用いてユグルタを破った。この軍制の改革(マリウスの軍制改革)は、将軍が下層民を自分のクリエンテス、つまり自分の私兵として権力闘争の道具とする道を開き、一層内乱に拍車をかけた。またマリウスはガリア人と戦うために連続して5年も執政官に選ばれた。
独裁者の出現を恐れていた元老院と共和政ローマも、いまや突出した力を持つ軍人政治家に異例の大きな権限を許さなくては事態を解決できなくなったのである。マリウスに対しては閥族派のルキウス・コルネリウス・スッラがライバルとなり、交互にローマ市の権力を握って相手党派を殺しあった。
また、ローマの侵略戦争に協力させられていたイタリアの同盟市は、ローマ市民権を持たないために戦利品や土地の分配の利益を与えられず、次第に不満を募らせていた。平民派は彼らへの市民権付与を提案したが閥族派が反対し、ついに紀元前91年、同盟市は一斉に反乱をおこした(同盟市戦争)。
ローマはイタリアの全自由民に市民権を与えて譲歩した。ローマはこの結果、全イタリアを領域下におさめることになり都市国家としての性格は失われた。しかしローマ市の民会などの機関は都市国家時代のまま続けられており、遠隔地の市民は実際には政治に参加できないという矛盾が明らかであった。
グナエウス・ポンペイウス
ミトリダテス戦争
東方ではポントゥスの王ミトリダテス6世が反ローマの戦争(ミトリダテス戦争)をおこし、これを破ったグナエウス・ポンペイウスが台頭してきた。彼も伝統と慣例を破って、若くして強力な命令権をおびた。そのほか地中海の海賊やスパルタクスの反乱(第三次奴隷戦争)を鎮圧した。
第1回三頭政治
グナエウス・ポンペイウスと共に奴隷反乱を抑えた大富豪のマルクス・リキニウス・クラッスス、天才的な軍人で平民派のユリウス・カエサルも有力になり、元老院が彼らの活動を抑えようとしたために3人は紀元前60年、密約を結んで国政を彼らの手で分担した(第1回三頭政治 紀元前60年〜紀元前53年)。
カエサルのガリア遠征・ローマ占領
ポンペイウスは東方で戦った自分の兵士への土地配分を行い、カエサルはガリア統治権を委ねられ、クラッススはパルティアとの戦争を受けもった。クラッススは戦死したが、カエサルはガリア征服に成功して声望を高めた。元老院はポンペイウスと結んでカエサルを公敵と宣言したので、彼は部下を率いてローマを占領した。
エジプトに逃れたポンペイウスは暗殺され、カエサルは東方やアフリカの元老院派をも制圧して独裁権力を確立した(紀元前46年)。
独裁官ユリウス・カエサル
退役兵のためには多数の植民市を建設して入植させ、また一般民には安価な穀物を供給し、豪華な剣闘士や野獣のショーを数多く催した。自分の名をつけたフォルムを建てるなど、公共建築も盛んにした。属州人にはローマ市民権を惜しみなく与えた。これらの仕事を彼は自分の部下の騎士や解放奴隷に行わせたが、このようなカエサルの政治はのちの元首・皇帝の先駆けをなすといえよう。
暗殺
カエサルの独裁政治は性急に進められたから、なお生き残っていた共和派は反感を募らせた。ことに紀元前44年にカエサルが終身の独裁官となり、またパルティア遠征をも計画して、そのために「王」の称号を得ようとしていると噂されるにいたって、カッシウス、ブルートゥスらがカエサルを暗殺した。兵士や民衆は彼の死を悲しみ、カエサル派のマルクス・アントニウスがそれを利用してカエサルを神格化し、ブルートゥスらは追放された。
オクタウィアヌス
第2回三頭政治
マルクス・アントニウスとレピドゥス、そしてカエサルの遺言でその養子とされた、遠縁で19歳のオクタウィアヌスの3人が国家再建の任を負い、第2回三頭政治が成立したが平和はもたらされず、内乱が再開された。
アクティウムの海戦
ついにオクタウィアヌスが、東方に赴いてエジプト女王クレオパトラ7世と結んだマルクス・アントニウスに対してイタリアと西方属州から忠誠の誓いをとりつけて戦いを挑み、紀元前31年アクティウムの海戦で彼らを破り、翌年マルクス・アントニウスらは自殺してオクタウィアヌスはエジプトを併合した。こうしてローマの内乱はようやく終わった。