ヘブライ人とユダヤ教 アラム人とフェニキア人 フェニキア
紀元前1200年頃の地中海世界(民族移動)©世界の歴史まっぷ

アラム人フェニキア人
紀元前1200年前後の「海の民」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。陸上でヒッタイトとエジプトの勢力が後退したばかりでなく、海上でもクレタ文明ミケーネ文明勢力が崩壊したからである。これによって、この地方でセム語系の3民族(アラム人、フェニキア人、ヘブライ人)が、それぞれ独自の活動を展開する。

アラム人とフェニキア人

アラム人とフェニキア人
オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ

地中海東岸地方は、海と砂漠に挟まれた狭くて複雑な地形に災いされて、統一国家の形成はむずかしく、政治的・軍事的には弱体であった。それに加えて、諸大国の間に位置したため、しばしば侵略をうけて従属を強いられた。しかし四方からの交通路が交わる地の利を活かして、人々は陸・海の貿易に活路を見出し、文化面でも後世に大きな遺産を残した。この地方にもすでに紀元前3千年紀より、セム語系諸族が居住していたようである。紀元前2千年紀の前半には、そのなかのカナーン人と呼ばれる人々が活躍した。エジプトの象形文字をもとにアルファベットの原形を考案したのは、彼らであったろうと言われている。紀元前1200年前後の「海の民」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。陸上でヒッタイトとエジプトの勢力が後退したばかりでなく、海上でもクレタ文明、ミケーネ文明勢力が崩壊したからである。これによって、この地方でセム語系の3民族(アラム人、フェニキア人、ヘブライ人)が、それぞれ独自の活動を展開する余地が生まれた。

「海の民」とは、紀元前13世紀末から紀元前12世紀にかけて、バルカン・エーゲ海方面より来襲して、東地中海一帯の諸国家・諸都市を恐慌に陥れた諸民族(系統未詳)の総称。
アラム人とフェニキア人
紀元前1200年頃の地中海世界(民族移動)©世界の歴史まっぷ

アラム人

遊牧民としてシリアからメソポタミア北部へかけての地方に姿を現したアラム人は、紀元前2千年紀の半ばころよりそれぞれの進出先で定着した。そして紀元前1200年ころより、ダマスクスをはじめとする都市を中心に幾つかの小国家を形成し、内陸貿易の担い手として広い範囲で活躍した。紀元前8世紀にはアッシリア軍(中アッシリア時代)の侵略に対し、それまで抗争を続けてきたヘブライ人とも手を結んで抵抗したが、破れて独立を失った。しかし王国滅亡後も商業活動はさかんで、その言語は全オリエントの国際共通語となった。そのため、政治的にはアラム人を支配したアッシリアや、のちのアケメネス朝も、公用語としてアラム語を採用したほどである。またフェニキア文字から分かれて発達したアラム文字は、各地に伝播して東方系の多くの文字の母体となった。アラム文字から派生した文字として、ヘブライ文字・シリア文字・アラビア文字・ソグド文字・ウイグル文字・モンゴル文字・満州文字などがあげられる。

アラム語は、その後もシリア・パレスチナからメソポタミアへかけて地域のアラム語化は進展した。イエスも、ヘブライ語ではなくアラム語で教えを説いたといわれている。
紀元前10世紀前後のオリエント地図
紀元前10世紀前後のオリエント地図 ©世界の歴史まっぷ

フェニキア人

一方、地中海沿岸にビブロス・シドンティルスなどの都市国家をきずいていたフェニキア人は、クレタ・ミケーネ勢力が後退したあとを受け、紀元前12世紀より地中海貿易をほぼ独占し、また地中海沿岸にカルタゴをはじめとする多くの植民市を建設した。

フェニキア人は、前代のカナーン人の一派から発展したのではないかと考えられている。「フェニキア人」とは自称でなく、のちのギリシア人によって呼ばれた名で、語源は特産品の貝紫染料に由来する。

全盛期には彼らの活動範囲は地中海を越えて、大西洋やインド洋にまでおよんでいた。政治的には、紀元前7世紀にアッシリアの攻撃に屈したあと、新バビロニア・アケメネス朝と次々に異民族の支配を受けたが、海上における活動は引き続き活発で、ペルシア戦争時にはフェニキア海軍が活躍した。紀元前4世紀後半にティルスがアレクサンドロス3世によって破壊され、東地中海の支配権はギリシア人に奪われたが、西地中海においてはカルタゴの勢力がなお健在であった。フェニキア人の文化史上の功績は、カナーン人の創始したアルファベットの書体が、まだ造形性の強いものであったのを線状文字に改良し、これをギリシア人に伝えて、今日まで伝わる西方系諸文字の源流となった点にある。

アルファベットの起源と発達

表音文字、より正確には子音文字のアイディアはすでにエジプトにあった。しかしこれのみで言語を表記しようとしたのは、紀元前2千年紀前半のカナーン人が最初である。彼らがエジプトの象形文字をもとにしてつくった「原カナーン文字」が、いわゆるアルファベットの原形となった。表意文字が取り入れられなかったのは、彼らが実用的な目的(おそらく商用)のために、できるだけ簡便な文字を必要としたからであろう。のちに各地に伝播していくつかに枝分かれしたが、歴史的にみてもっとも重要な分枝となったのがフェニキア文字である。ここから東西の諸文字の元祖であるアラム文字ギリシア文字が分かれて発達した。前者は、オリエント世界ではやがて楔形文字に取ってかわり、さらに東に伝播して、中央アジアや北アジア系の文字につながっていく。後者には、母音文字が付け加えられた。なお、最古のアルファベットといわれてきた原シナイ文字は、南に伝わった原カナーン文字の一種と考えるのが妥当のようである。

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