マゼランと世界周航 世界周航を初めて成し遂げたポルトガル人のフェルディナンド・マゼランは、ポルトガル王の不興をかい、スペインに移り、彼の世界周航計画について、スペイン王カルロス1世(のちのカール5世(神聖ローマ皇帝))の援助をうけた。1521年戦隊はフィリピンに到達したが、マゼランは現地の紛争に巻き込まれ、セブ島東岸の小島マクタン島で現地人に殺された。
マゼランと世界周航
世界周航を初めて成し遂げたのはフェルディナンド・マゼラン(マガリャンイス 1480頃〜1521)である。ポルトガル人のマゼランは、ポルトガル王の不興をかい、スペインに移り、彼の世界周航計画について、スペイン王カルロス1世(のちのカール5世(神聖ローマ皇帝))の援助をうけることになった。1519年5隻の船、280人の乗組員でスペインのサン・ルカル港を出港、ラプラタ河口から南アメリカの東岸を南下し、ついに3隻の船でマゼラン海峡を越え、広い海にでた。彼が太平洋(平穏な海)と命名したこの海の苦しい単調な航海を続け、1521年戦隊はフィリピンに到達した。マゼランはここで現地の紛争に巻き込まれ、セブ島東岸の小島マクタン島で現地人に殺された。出発から3年後の1522年9月、残った1隻の船でスペインに帰着したのはデル・カーノ以下18人であったという。

マゼラン ポルトガルの下級貴族出身で、モロッコ遠征の際ムーア人と取り引きして王の不興を被り、スペインに逃亡した。スペイン王カルロス1世の許可をうけて、1519年8月10日世界周航に出発し、1521年4月27日マクタン島でラプ=ラプ率いる現地人に殺害された。
近代ヨーロッパの成立年表
イタリア・ルネサンス(14〜16世紀) | |
1450頃 | ヨハネス・グーテンベルク、活版印刷技術発明 |
1488 | バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達 |
1492 | スペイン、グラナダを占領(レコンキスタ完了) |
クリフトファー・コロンブス、アメリカに到達 | |
1494 | トルデシリャス条約(スペイン・ポルトガル) |
1495 | レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」制作(〜1498頃) |
1498 | ヴァスコ・ダ・ガマ、カリカットに到達 |
1517 | マルティン・ルター、九十五カ条の論題発表 |
1519 | フェルディナンド・マゼランの部下、世界周航(〜1521) |
1521 | エルナン・コルテス、アステカ帝国征服 |
イタリア戦争(第三次イタリア戦争 〜1526) | |
1524 | ドイツ農民戦争 |
1529 | オスマン軍の第一次ウィーン包囲 |
1533 | フランシスコ・ピサロ、ペルーのインカ帝国征服 |
1534 | 国王至上法発布(イギリス国教会成立) |
イエズス会設立 | |
1541 | ジャン・カルヴァン、ジュネーヴ市政掌握 |
1543 | ニコラウス・コペルニクス『天球回転論(地動説)』刊 |
1545 | トリエント公会議(〜1563) |
16世紀後半、価格革命おこる | |
1555 | アウクスブルクの和議(ルター派の信仰認められる) |
1558 | エリザベス1世の即位(〜1603) |
1559 | カトー・カンブレジ条約(イタリア戦争終結) |