北と南のイタリア
- 北イタリア:ヴェネツィア・ジェノヴァ・フィレンツェなどが地中海商業で富を蓄積し、独特の都市共和国(コムーネ)を形成。ギベリン(皇帝党)とゲルフ(教皇党)の対立。
- 中部:ローマ教皇領
- 南イタリア:両シチリア王国、ナポリ王国。集権国家を形成。
北と南のイタリア

フリードリヒ1世の遠征に対する北イタリア諸都市のロンバルディア同盟の結成( 都市の自治権獲得 – 世界の歴史まっぷ)は、ゲルフとしての戦いであった。
トスカナ平原のフィレンツェでは、13世紀後半市民がギベリンの貴族を追放して共和制を実現(フィレンツェ共和国)、教皇と結びついて金融・商業を中心に発展した。だが、大商人・金融業者ら大市民が市政を独占するようになると、中産市民・下層労働者らの小市民はこれに反発し、1378年にはチオンピの乱が起こった。結局、市政は大市民層に掌握され、アルヴィッツィ家、メディチ家(1434〜1494)による寡頭支配が行われた。
メディチ家
13世紀に薬種業から勃興し、14世紀をつうじてフィレンツェの富裕商人の仲間入りを果たした。チオンピー一揆の際、アルビッツィ派に敗れるが、ジョヴァンニは銀行業で得た資産をもとにこれに対抗し、次のコジモの代にはフィレンツェの支配圏を握った(1434)。その子ピエロをへて、孫のロレンツォの代(1448〜1492)にメディチ家の絶頂期を現出したが、次のピエロ2世の代に市民の反乱が起こり、フィレンツェの支配権を失った(1494)。1282年3月30日復活祭の夕刻にパレルモでおこり、やがて全島に広まったこの対仏反乱は、「シチリアの晩鐘」と呼ばれる。
こうして中世末期のイタリアは、北の都市共和国(コムーネ)と南の集権国家という対比のなかで、ミラノ公国・ヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・教皇領・ナポリ王国の5大勢力が分立する情勢を形づくった。なおナポリ王国は、15世紀半ばにアラゴン家により征服されるが、同世紀末には再生服をはかるフランスにより、イタリアは長い戦争(イタリア戦争 1494〜1559)に巻き込まれていく。