帝国主義と列強の展開
19世紀末になると、資本主義諸国では第2次産業革命と呼ばれる「石油と電力」を基軸とする技術革新が進展して巨大企業が生まれ、資本の独占化が進んだ。帝国主義列強はこの技術革新を背景に巨大な生産力をもち、軍事的優位を確立して、植民地や勢力圏を確保するための海外進出をおこなった。この結果、アジアはタイと日本をのぞき列強の植民地または半植民地にされ、アフリカの分割も進み、さらに太平洋地域の島々さえも分割された。従属させられた地域は、農産物・鉱物資源などの原料供給と製品の販売市場と位置づけられるだけでなく、資本輸出の対象地域とされ、資本主義の世界システムの枠組みに編入された。この時期、貿易・交通・通信手段も高度に発達し、人・物・情報・文化などの往来も盛んになったため、支配と従属の経済的関係も合わせ、「世界の一体化」が進行した。
列強諸国では産業の高度化にともなう急速な社会変化から国内の緊張が高まった。イギリスでは労働者の生活条件や政治的権利はしだいに改善されたが、アイルランド差別が依然として残存していたために政府に対する反発が高まった。フランスではブーランジェ事件やドレフュス事件などの第三共和制を揺るがす事件が発生した。一方、各国の労働者は労働運動や社会主義運動を進めて体制変革を志向した。イギリスでは斬新的な社会改良をめざす運動が主流であったが、フランスでは労働者の直接行動に訴える運動が盛んになった。ドイツではマルクス主義を基本綱領に採択した社会主義政党が生まれ、修正主義論争に揺れ動きながらも世界の社会主義運動の指導的地位を獲得するにいたった。
植民地や従属地域ではオスマン帝国・インド・中国などで、伝統的・宗教的規範を基礎にする抵抗運動や西欧の技術・体制を導入する革新運度がおこり、列強の搾取に対して民衆も加わって、解放のための民族運動が本格化した。それは辛亥革命やメキシコ革命などとなって現れた。
イギリスの経済的優位の動揺とアメリカ・ドイツの台頭は、各国の緊張と対立を激化させた。列強は相互に軍事ブロックを形成し、偏狭なナショナリズムが領土拡張政策に利用された。大国の利害とナショナリズムが交錯したバルカン半島では、1914年サライェヴォ事件がおこり、結局その国際的対立は第一次世界大戦を勃発させることになった。
資本主義の変質
近代科学の成果はさまざまな発明を生み、それらは産業上の新技術として工業生産に応用され、産業界ばかりでなく、社会と文明の根本をも変えていった。最初の産業革命は、石炭と蒸気力を動力源に綿工業などの軽工業と製鉄業の分野でおこった。19世紀半ばにはイギリスが圧倒的な経済力を誇り、西ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国は保護貿易政策をとってイギリスの覇権に対抗しつつ工業化を進めていった。やがて、19世紀後半には石油と電力を動力源に使う新しい工業や技術が開発され、重化学工業・電気工業などを中心に工業生産は飛躍的に拡大していった。これは、第2次産業革命と呼ばれる。新技術により、鉄鋼のほかアルミニウム・ニッケルなどの非鉄金属が大量に生産され、染料・肥料・ゴム・繊維などの化学合成物質も生産されるようになった。また、内燃機関・電動機・電灯・電話・ラジオ・自動車なども実用化されて経済活動と日常生活は大きく変貌していった。これらの巨大な新産業分野の発展を先導したのはアメリカ合衆国とドイツであり、世紀末までには工業生産の1位、2位を占めるようになった。ドイツのヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝) は高等教育機関での科学技術の開発を熱心に助成し、ドイツでは工科系の専門大学も教養重視の総合大学と同等の地位をえるようになった。その結果、すぐれた科学者を輩出したドイツは世界の大学の手本となった。
ところで、新しい工業部門では、高度な新技術の導入とともに、多数の労働者が一貫したシステムのもとに働く巨大な設備を備えた工場が建設されるようになった。1873年に始まった「大不況」に対処するため、企業は資本を集中化させていった。そして、カルテル・トラスト・コンツェルンのような独占が形成され、90年代初めにはならび立つ少数の巨大企業が中小企業を圧迫するようになった。また、資金を提供する銀行は株式の保有や役員の派遣を通じて企業経営に参加し、銀行と企業の結びついた少数の巨大資本(金融資本)が出現した。このような少数の大企業が市場を支配する傾向が見られるようになった資本主義を独占資本主義という。こうした傾向はとくにドイツ・アメリカで顕著であった。