イギリスの産業革命
七年戦争によって世界商業の覇権を握り、広大な植民地帝国を形成。奴隷貿易を軸に三角貿易で大きな利益を得た。
豊富な資源・資本の蓄積・安価な労働力・広大な海外市場・中産階級の台頭・自然科学の発達などにより工業化が進み、資本主義社会が成立した。
イギリスの産業革命
このように、本来産業革命とは、18世紀の後半からイギリスで経済活動に機械や動力が導入され、機械制工場が展開したこと、また、これをきっかけに経済のあり方や社会構造が根本的に転換し、人々の生活も一変したことをさす用語であった。
また、それは結果として、伝統的な農業社会に変わって工業社会が出現したという意味で、工業化とも呼ばれている。ただし、工業化の過程は、地球的規模では今も進行しつつあるといえる。
こうして、資本主義はすでに16世紀ころから明確なかたちをとりはじめていたとはいえ、産業革命にともなって性格を少し変えながらいっそう発展した。資本家のなかでも、商人や農業経営者にかわって、工場経営者などが有力となる産業資本主義の時代が到来したのである。
産業革命は、なぜ最初にイギリスでおこったのだろうか。ひとつの原因は、対外的なものでる。すなわち、七年戦争によってイギリスが世界商業の覇権を握り、広大な植民地帝国を形成したことであった。とくに、イギリスは奴隷貿易を軸に、自国と西アフリカ、カリブ海や北米南部を結ぶ「三角貿易」を形成して、大きな利益をえた。この収益が、産業革命の資本源となる一面もあった。
しかもその際、アフリカむけの輸出品には綿布が含まれており、カリブ海からの輸入品には砂糖のほか綿花が含まれていたため、ロンドンとならぶ奴隷貿易の中心、リヴァプールに近いマンチェスター周辺に綿工業が発達したのである。
他方、イギリスの国内事情も有利に作用した。早くから第2次囲い込みや、新農法の導入などの農業改良が進んでいた(農業革命)。このため人口が18世紀中ごろからは急増しはじめ、労働力にも不足がなかった。土壌のぐあいで農業改良がむずかしかった西北部などでは、すでに18世紀中ごろまでに毛織物業を中心に問屋制度による手工業(「プロト工業」という)やマニュファクチュア(工場制手工業)が成立し、工業生産の伝統もきずかれていた。
イギリスでは、こうして産業革命に必要な資本や労働力が準備された。このほか、禁欲と勤勉をすすめ、世俗の職業を重視したプロテスタントの信仰(ピューリタニズム)や科学革命による自然科学の発達など、知的・精神的な条件も整えられた。それによって、遅刻をしないで時間を正確にまもる近代的な労働者と、合理的な経営を行う経営者が、生みだされたからである。
ノーフォーク農法
17世紀後半から、イギリスでは東部を中心に、冬に家畜用飼料としてカブを栽培するノーフォーク農法が普及した。この農法によって、冬季にもカブが生鮮飼料となったので、家畜を屠殺する必要がなくなり、家畜そのものと家畜の糞尿を肥料とした穀物の収量が激増した。この新農法を普及させるのに力があったチャールズ・タウンゼンド(第2代タウンゼンド子爵)は、「カブ」のタウンゼンドとあだ名された。
新農法を採用するために、囲い込みがおこなわれることもあった。この農法で、東部の穀物生産がきわめてさかんになったため、地質的にこれを採用できなかった西北部などは、牧畜と手工業に重点をおかざるをえなくなった。
しかし、産業革命が始まって雇用が増したことと、ジェンナーによる種痘法の発見などの医療の向上が重なって人口が激増すると、イギリスは再び穀物の第輸入国となった。
欧米における近代社会の成長年表
年 | 関連事項 |
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1700 | 北方戦争(〜1721) |
1701 | スペイン継承戦争(〜1713) |
1707 | グレートブリテン王国成立 |
1714 | 英、ハノーヴァー朝(〜1917) |
1740 | 普、フリードリヒ2世(プロイセン王)即位 |
オーストリア継承戦争(1748) | |
1756 | 七年戦争(〜1763) |
1763 | パリ条約 |
このころイギリスで産業革命始まる | |
1769 | 英、ジェームズ・ワット、蒸気機関改良 |
1772 | 第一回ポーランド分割 |
1773 | ボストン茶会事件 |
1775 | アメリカ独立戦争(〜1783) |
1776 | アメリカ独立宣言発表 |
1783 | パリ条約 |
1789 | フランス革命勃発、ワシントン、初代大統領就任 |
1792 | 仏、第一共和制 |
1794 | テルミドール9日のクーデタ |
1795 | 第三回ポーランド分割 |
1799 | ブリュメール18日のクーデタ |
1802 | アミアンの和約 |
1804 | ナポレオン、皇帝即位(第一帝政) |
1812 | ナポレオンのロシア遠征 |
1814 | ナポレオン退位、ウィーン会議 |