主権国家体制 絶対王政の経済・社会政策 絶対王政とは 主権国家 主権国家と絶対王政のしくみ図
主権国家と絶対王政のしくみ図 ©世界の歴史まっぷ
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主権国家
一定の領域に対して排他的に権力を行使し、他の政治単位(国家)にも同じ権利を承認する国家が主権国家という概念である。これらの国家間に形成される国際秩序が主権国家体制と呼ばれる。主権とは「一国における絶対的・恒久的権力」で、国王が主権をもつとされた。

主権国家

イタリア戦争では、北イタリア諸国・スペイン・神聖ローマ皇帝・フランス・ローマ教皇・イギリス・オスマン帝国などの間で常駐の外交使節による交渉も展開され、そのなかで一定のルールが形成され、国家間の国際関係が形づくられることとなった。

ローマ教会・神聖ローマ帝国など中世ヨーロッパの普遍的権威が崩れ、教皇・皇帝もイタリア都市国家・フランス・イギリス・オスマン帝国などと同列の自律的な主権者として、国際秩序を形成する一員となった。

一定の領域に対して排他的に権力を行使し、他の政治単位(国家)にも同じ権利を承認する国家が主権国家という概念である。これらの国家間に形成される国際秩序が主権国家体制と呼ばれる。

フランス・スペイン・ポルトガル・イギリスなど「絶対君主」が支配する領域国家がまず主権国家として現れる。国王は自国内で立法権、課税権、官吏任命権、戦争・平和の権限などを独占的に行使した。主権とは「一国における絶対的・恒久的権力」で、国王が主権をもつとされたのである。

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フランスのジャン・ボダン(1530〜1596)は『国家論』のなかで主権という概念を定式化した。

国際的なルールは主権国家の自立性を認めると同時に、主権国家の行動に一定の制約をも加えたのである。市民革命期になると国家権力は統治されるものの合意により成立するという社会契約論により、主権は国民にあるとみなされるが、国家は最高・絶対・唯一の権力をもつという主権概念は近代国家にひきつがれた。

国民国家

「国民国家」とは、ひとつの民族がひとつの国家をなすべきだとする考え方で、近代の国家のありかたの典型とされる。「フランス」という国は、身分や階級や地域の違いをこえて「フランス人」が構成していることになる。そうした意識が成立するためには、言葉や宗教や生活習慣を共通にする「国民」が成立していなければならない。実際、百年戦争などをつうじて、「フランス人」や「イギリス人」といった意識がある程度成立したといわれる。しかし、現実には、西ヨーロッパ諸国にしても、今も国内に少数民族がおり、彼らの問題を無視することはできない。

略年表

ヨーロッパ主権国家体制の展開

1562ユグノー戦争(〜98)
1571レパントの海戦
1572サン・バルテルミの虐殺
1580スペイン、ポルトガルを併合
1581オランダ独立宣言
1588イギリス、スペイン無敵艦隊を撃破(アルマダの海戦
1589フランス、アンリ4世(フランス王)即位(〜1610)ブルボン朝
1598フランス、ナントの王令ユグノー戦争終結
1603イギリス、シュチュアート朝(〜1714)
1607イギリス、ヴァージニア植民地設立
1613ロシア、ロマノフ朝成立(〜1917)
1618ドイツ三十年戦争(〜48)
1620メイフラワー号、プリマス着
1628イギリス、権利の請願
1640イギリス、ピューリタン革命開始(〜49)
1643フランス、ルイ14世即位(〜1715)
1648ウェストファリア条約
1649イギリス、チャールズ1世処刑、共和制となる(〜60)
1651イギリス、航海法
1652イギリス・オランダ戦争(〜74)
1653イギリス、クロムウェル、護国卿となる
1660イギリス、王政復古
1682ロシア、ピョートル1世即位(〜1725)
1688イギリス、名誉革命
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