古墳とヤマト政権
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目次
古墳とヤマト政権
古墳の出現とヤマト政権
1 古墳の出現
- 3世紀後半から西日本を中心に、●●●や前方後方墳などが出現
出現期の古墳で最大規模は奈良県●●●古墳 - 内部:長い木管を竪穴式石室に埋葬、副葬品(銅鏡など)
- 性格:各地の首長級に共通の墓制(広域の政治的連合体の形成)。
2 ヤマト政権の成立
- 出現期の古墳 大和地方(奈良)に各地をしのぐ大規模な古墳
- 大和政権:大和地方を中心に近畿中央部の勢力を核とする政治連合
- 4世紀中頃、東北まで古墳が波及 大和政権の支配拡大を示唆
前期・中期の古墳
前期・中期の古墳
時期 | 前期 | 中期 |
3世紀中頃〜4世紀後半 | 4世紀後半〜5世紀後半 | |
分布 | 主に畿内中心 出現期は大和地方に大規模古墳が集中 | 畿内から各地へ波及 畿内ほか群馬(上毛野)・京都北部(丹後)・岡山(吉備)・宮崎(日向)などに大規模古墳 |
立地 | 丘陵地に多い | 平野部に巨大古墳築造 |
形状 | 西日本では主に前方後円墳 東日本では前方後方墳が多い | 前方後円墳が全盛 巨大な前方後円墳が出現 |
代表的 古墳例 | この期の最大古墳は●●●古墳(奈良県) | ●●●古墳(仁徳天皇陵)(百舌鳥古墳群内) |
●●●古墳(応神天皇陵)(古市古墳群内) | ||
●●●古墳(岡山県)らが代表 | ||
埋葬 | ●●●石室が多い 粘土槨・木棺・石棺あり | 前期と同じ竪穴式石室で石室が大きい |
墳丘部周辺 | 斜面には葺石、墳丘上には●●●や家形埴輪、器材埴輪(盾など)をめぐらす | 葺石、円筒埴輪に加え、人物・動物などをかたどった●●●増加 |
副葬品の特徴 | 鉄製の武器や農工具などに加え、●●●に代表される銅鏡など、呪術的色彩の強いもの | 刀剣・甲冑など鉄製の武器・武具・馬具など軍事的色彩の強いものや金属製装身具 |
被葬者 | 被葬者は●●●的性格が強い | 被災者は●●●的性格が強い、倭の五王と関連 |
東アジア諸国との交渉
1 大陸情勢


- 中国:三国 晋 (周辺民族侵入)五胡十六国 南北朝時代 支配力低下
- 朝鮮半島
- ①北部:●●●が巨大化、313年に楽浪郡を滅ぼす
- ②南部:4世紀、馬韓から●●●、辰韓から●●●が建国、弁韓 ●●●諸国は小国連合が続く
加耶(加羅)諸国を『日本書紀』では任那と呼ぶ
2 大陸との交渉
- 倭の加耶進出
倭は●●●資源を求め、加耶諸国に進出 - 高句麗の南下
南下を進める高句麗と倭が交戦 高句麗の都の丸都(現中国吉林省)の●●●に記述あり
史料チェック: 高句麗「好太王碑」碑文
「百残・新羅は旧是属民なり。由来朝貢す。而るに倭、辛卯の年(●●●年)よりこのかた、海を渡りて百残を破り新羅をし、以て臣民と為す。」 - 高句麗などから騎馬技術が伝来(中期古墳の軍事的性格に影響か)
*一部で騎馬民族征服王朝説の学説あり - 中国大陸(南朝)との交渉
- ①「倭の五王」 讃、珍、済、興、●●●が5世紀初めから南朝に朝貢
- ②目的:朝鮮半島における倭の外交・軍事上の立場を有利にするため
- ③済は允恭天皇、興は安康天皇、武は●●●天皇に比定、讃と珍は諸説あり
「 興死して弟武立つ。自ら、 諸軍事 安●●● 倭国王と称す。順帝の昇明二年(●●●年)、使を遣わして上表して曰く、「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬ら甲冑を擐き、山川を跋渉して寧処に遑あらず。 」と。(『宋書』倭国伝)」
大陸文化の受容
1 渡来人による諸技術の伝播
- ヤマト政権は、渡来人を技術者集団として組織化
●●●(上質鉄器制作)、陶作部(上質陶器制作)、錦織部(機織り)、鞍作部(馬具制作)など - 代表的渡来人(「記紀」の説話から)
- ①●●●:秦氏の祖、養蚕・機織りを伝える(山城国太秦周辺に居住)
- ②●●●:東漢氏の祖
- ③王仁:●●●の祖
②と③はヤマト政権の記録や文書作成などに従事
2 大陸文化の伝来
- 儒教:●●●が『論語』を献上、6世紀初頭に百済から五経博士が来日して五経を講じ、儒教を伝える
- 漢字:王仁が「千字文」(識字・習字のテキスト)を伝える 漢字の音を借りて人名や地名などを表記 ヤマト政権の記録 史部などが担当
「帝紀」(天皇の系譜)、「旧辞」(朝廷の伝承)の作成 「記紀」のもと- 使用例
埼玉県●●●古墳出土の鉄剣銘
奈良県●●●七支刀(百済王が倭王に贈呈との説)
和歌山県隅田八幡神社人物画像鏡
- 使用例
- 仏教:百済の●●●が●●●天皇に仏像・経論などを贈る(仏教公伝)
- ①公伝年
- 538年(戊午)説:『●●●』・『元興寺縁起』
- 552年(壬申)説:『日本書紀』
- ②仏教需要めぐり対立(崇仏論争) 崇仏派の蘇我氏が勝利
- 崇仏派:●●●
- 廃仏派:●●●
- ③私的伝来としては、『扶桑略記』に司馬達等(鞍作鳥の祖父との説)が継体朝(522年ごろ)に来日し、飛鳥の地で仏像を礼拝したとの記述
「志癸嶋天皇(●●●天皇)の御世戊午(●●●)年十月十二日、百済国主の明王、初めて仏像経教ならびに僧等を渡し奉る。勅して●●●宿禰の大臣に授けて興隆せしむる也。」(資料名:『●●●』) - ①公伝年
古墳文化の変化
大陸文化の影響 古墳時代後期、古墳に大きな変化
1 埋葬方法の変化
- 竪穴式石室が減少 追葬可能な●●●石室の出現
- 埴輪:形象埴輪が増加 古墳の周りや墳丘上に並べ葬送儀礼を象徴
2 古墳規模・形状などの変化
- 近畿以外、大型の前方後円墳減少 各地の豪族がヤマト政権に服属
- ●●●など小型古墳の爆発的増加 有力農民層などへ古墳が普及
- 地域的特色
- 九州北部で石の埴輪である石人・石馬
- 九州各地や茨城県・福島県で墓室に彩色のある●●●