5~6世紀の渡来人表 大陸文化の受容 3「古墳とヤマト政権」まとめ1/2
5~6世紀の渡来人表©世界の歴史まっぷ

3「古墳とヤマト政権」まとめ1/2

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大陸文化の受容

大陸文化の受容

1 渡来人による諸技術の伝播

  1. ヤマト政権は、渡来人を技術者集団として組織化
    ●●●(上質鉄器制作)、陶作部すえつくりべ(上質陶器制作)、錦織部にしごりべ(機織り)、鞍作部くらつくりべ(馬具制作)など
  2. 代表的渡来人(「記紀」の説話から)
    • ●●●秦氏はたうじの祖、養蚕・機織りを伝える(山城国太秦うずまさ周辺に居住)
    • ●●●東漢やまとのあやうじの祖
    • 王仁わに●●●の祖

②と③はヤマト政権の記録や文書作成などに従事

2 大陸文化の伝来

  1. 儒教:●●●が『論語』を献上、6世紀初頭に百済から五経博士ごきょうはかせが来日して五経を講じ、儒教を伝える
  2. 漢字:王仁が「千字文せんじもん」(識字・習字のテキスト)を伝える 漢字の音を借りて人名や地名などを表記 ヤマト政権の記録 史部ふひとべなどが担当
    帝紀ていき」(天皇の系譜)、「旧辞きゅうじ」(朝廷の伝承)の作成 「記紀」のもと
    • 使用例
      埼玉県●●●古墳出土の鉄剣銘
      奈良県●●●七支刀しちしとう(百済王が倭王に贈呈との説)
      和歌山県隅田八幡神社人物画像鏡
  3. 仏教:百済の●●●●●●天皇に仏像・経論などを贈る(仏教公伝)
    • ①公伝年
      • 538年(戊午ぼご)説:『●●●』・『元興寺縁起がんごうじえんぎ
      • 552年(壬申じんしん)説:『日本書紀
    • ②仏教需要めぐり対立(崇仏論争 崇仏派の蘇我氏が勝利
      • 崇仏派:●●●
      • 廃仏派:●●●
    • ③私的伝来としては、『扶桑略記ふそうりゃっき』に司馬達等しばたつと鞍作鳥くらつくりのとりの祖父との説)が継体朝(522年ごろ)に来日し、飛鳥の地で仏像を礼拝したとの記述

史料チェック: 仏教の伝来

志癸嶋しきしま天皇●●●天皇)の御世戊午(●●●)年十月十二日、百済国主の明王、初めて仏像経教ならびに僧等を渡し奉る。勅して●●●宿禰すくねの大臣に授けて興隆せしむる也。」(資料名:『●●●』)

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