エリドゥ (Eridu)
古代メソポタミアの都市、又はその都市を拠点とした国家。ウルから南東方向に約10キロメートルの距離にある。シュメールおよび南部メソポタミアの都市国家郡の南端に位置し、数多くの寺院がある。
シュメール王名表では人類最初の王権が成立した都市とされている。1000年以上にわたる神殿の拡張工事の跡が考古学的に発見されていることでも有名。
歴史
ウバイド文化
紀元前5500年頃-紀元前3500年頃
メソポタミアに誕生した先史文化。イラク南部ジーカール県のウル遺跡の西6キロメートルにあるテル・アル=ウバイドという遺丘(テル)で発見された、新石器時代から銅器時代の遺跡が、この文化を代表する。この文化はメソポタミア南部の沖積平野での最古の文化で、紀元前6500年ごろからメソポタミアに広がり始め、紀元前4000年ごろから始まるウルク文化へと引き継がれた。灌漑農業の導入による農業の飛躍的発展、車輪の導入、銅器時代などがウバイド期に始まっている。
エリドゥ期(ウバイド1期)
紀元前5300年-紀元前4700年
紀元前5000年ごろ最初期の村落が形成される。
紀元前4900年頃建設されたとみられる。
紀元前2900年までには、広さ8~10ヘクタール(20~25エーカー)の都市に成長した。その頃の都市の建物は、壁がレンガ造りで屋根は萱葺きとなっていた。
紀元前2050年までには、都市は衰退した(外部から侵略された形跡がないため、「衰退」と考えられえる)。
遺跡
現代のイラク南部のテル・アブ・シャハライン(Tell Abu Shahrain)遺跡がエリドゥに同定されている。建設当時は、ユーフラテス河の河口近くのペルシャ湾近くに位置していた。1000年以上にわたるシルトの堆積により、エリドゥの遺跡は現在のペルシャ湾岸から離れたところにある。
イラクのバスラ近郊のテル・アブ・シャハライン遺跡は、まず1855年にJ.E.テイラー(J.E.Taylor)によって、続いて1917にR.キャンベル・トンプソン(R. Campbell Thompson)、1919年にH.R.ホール(H.R. Hall)によって発掘された。 発掘は1946年から1949年にかけて、イラク古代遺産総局(Iraqi Directorate General of Antiquites and Heritage)のファド・サファール(Fuad Safar)とセートン・ロイド(Seton Lloyd)によって再開された。 以来、都市神エンキ(ヌディンムドゥ)を祀るための神殿跡が少なくても1000年にわたり連続して発見されており、ウバイド文化と シュメール文化の連続性を示す証拠としてよく挙げられる。
シュメールの多くの都市国家はそれぞれ周囲の1000平方キロもの土地を支配していた。 ラガシュ、エリドゥ、キシュ、ニップル、ウルク、シッッパル、アカシャク、ウルなどの都市ははるか昔からその名を轟かせていた。
トップ画像出典: File:Руины Эриду.jpg – Wikipedia, the free encyclopedia