ラガシュ (Lagash)
古代オリエントのウル(Ur)の北方にあったシュメール人の都市国家。フランス隊により発掘された。。
ラガシュ
ウル(Ur)の北方にあったシュメール人の都市国家。フランス隊により発掘された。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
シュメール人とセム語系諸族
紀元前3000年ころになると、余剰生産物の増加にともなって、農業や牧畜に直接従事しない神官・戦士・職人・商人などが増え、大村落は都市に発展した。最初の都市文明建設者はシュメール人で、紀元前2700年ころまでには両河の河口付近に彼らの都市国家が多数形成された。ウル(Ur)・ウルク(Urk)・ラガシュ(Lagash)などがその代表であり、紀元前25世紀ころのウル第1王朝時代に全盛期を迎えた。各都市は周囲を城壁で囲まれ、中心部にはジッグラトのそびえる守護神をまつる神殿があった。都市はこの神が支配すると考えられ、最高の神官を兼ねた王が神の名のもとに神権政治を行なった。土地は原則としてすべて神のものとされ、市民は神殿共同体に属し、神殿におさめられた税を保管する神殿倉庫は国庫の役割を果たした。外国との貿易も神殿が独占し、戦争も神の名においてなされた。しかしやがて支配者の軍事的役割の増加とともに、王権の性格はしだいに世俗的なものとなり、それにともなって神殿と利害の対立した王が、神官勢力の特権を抑えようとすることもあった。
遺跡
現代のイラク南部に存在する。現代名はテル・アル・ヒバ。その面積は6平方kmに達し、19世紀に発見されて以来大規模な発掘調査が繰り返されてきた。ラガシュ王の碑文の多くが20kmほど北西にあるテルローで発見されたため、かつてはテルロー遺跡がラガシュ市であると推定されていたが、現在ではテルロー遺跡は古代のギルスで、都市ラガシュは現代のテル・アル・ヒバであったことが確認されている。 国家ラガシュの首都がギルスに置かれていた時代が長かったためにこのような事態が発生した。古代のラガシュ王国はラガシュ、ギルス、ニナ・スィララ、グアバなどの都市が連合して成立した国家であった。
出土品
ウル・ナンシェ王の貫通孔のある浮彫
グデア王像
歴史
シュメール初期王朝時代
ラガシュ第1王朝(紀元前26世紀頃 – 紀元前24世紀頃?)の下で最盛期を迎えた。
ラガシュ第1王朝の王たちはシュメール王名表には記載されていない。地方的な国家であったためとも考えられるが、現在に残る遺跡からはラガシュが有力国の一つであったことが容易に想像できる。すでにメソポタミア文明の時代の人々にも、ラガシュ王の一覧がシュメール王名表に載っていないことは不思議なことに感じられたらしく、イシン・ラルサ時代にシュメール王名表の形式を真似てラガシュ王の一覧が作成されている(ラガシュ王名表)。
ラガシュ・ウンマ戦争
ラガシュ第1王朝とウンマは100年にわたり国境を巡ってラガシュ・ウンマ戦争を起こしていた。この戦争に関して当時のラガシュ王たちがさまざまな碑文を残しており、現存する歴史文書の中では最古級に属する。それによれば、最初はキシュ王メシリム(メスアンネパダ?)の仲介によってラガシュとウンマ(Umma)の間の国境を定め、それを示す石碑が建てられた。しかしウンマが国境を侵し、石碑を移動させたのでエアンナトゥム王はウンマと戦い石碑を元の位置に戻したという。その後エンメテナ王に至るまで3代にわたってたびたびウンマと戦ったと記録されている。後にウンマとラガシュは和平協定を結ぶが、これは史上最初の国際条約といわれている。
シュメールの多くの都市国家はそれぞれ周囲の1000平方キロもの土地を支配していた。 ラガシュ、エリドゥ、キシュ、ニップル、ウルク、シッッパル、アカシャク、ウルなどの都市ははるか昔からその名を轟かせていた。