ふるり人 エジプト第2中間期 古代オリエント ヒクソス
古代オリエント 紀元前2000年紀 2

エジプト第2中間期


中王国

新王国

エジプト第2中間期 (第13-17王朝) 紀元前1782年頃 – 紀元前1570年頃
ヒクソスによって下エジプトにエジプト第15王朝が立てられ、その後上エジプトにエジプト第17王朝が独立し、南北分立となる。

エジプト第2中間期

王朝の統治力は急速に弱体化し、エジプトは混乱期に突入する。

エジプト第13王朝

紀元前1782年頃 – 紀元前1650年頃
首都:イチ・タウィ

ヌビアがエジプトから独立する。

エジプト第14王朝

紀元前17世紀頃?
下エジプトのごく一部を支配。

いくつかの小諸国が各地に分立する。

エジプト第15王朝

紀元前1663年頃 – 紀元前1555年頃

ヒクソス政権 (大ヒクソス)

紀元前1663年、パレスチナ地方からやって来たとされるヒクソスに征服される。

ヒクソスによってエジプト第15王朝が立てられ、下エジプトのアヴァリスに拠点を置き、各地の小諸国を従属させて覇権を確立。隣接するパレスチナも勢力圏とした。

ヒクソス時代には以前にもまして対外貿易が活発化したらしく、ヒクソスにまつわる小規模遺物はクレタ島やキプロス島、メソポタミアアナトリア半島などからも見つかっている。とりわけアヴァリスの遺跡からクレタ様式の壁画断片が見つかったことは、ヒクソスとクレタ文化圏の関わりを示す興味深い事実である。

エジプト第16王朝

紀元前17世紀頃 – 紀元前16世紀頃

ヒクソス政権 (小ヒクソス)

エジプト第15王朝(ヒクソス政権)の覇権の下で、上エジプトにエジプト第16王朝がおこる。

エジプト第17王朝

紀元前1663年頃 – 紀元前1570年
従属していたテーベを中心とする勢力がエジプト第17王朝として独立し、南北分立となった。

エジプト第17王朝最期のファラオ・カーメスは、父王・セケエンラー・タア2世を挑発して誘い出し、戦死させたヒクソスの第15王朝と戦い、勝利を収めて。この勝利を記念してカルナックのアメン神殿に記念碑を奉納した。(カーメスの石碑)しかし、凱旋直後に亡くなり、ヒクソスを完全に滅ぼすことはできなかった。悲願達成は弟のイアフメスに受け継がれる。

同義語
第2中間期
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