イブン・バットゥータ A.D.1304〜A.D.1368
モロッコ出身のベルベル系のアラブ人、イスラーム教徒の旅行家。1325年、22歳の時から約30年間にわたり、アジア各地やアフリカ、スペインにいたる12万㎞におよぶ旅行を敢行し、帰国後、30年あまりにおよぶ体験を口述筆記によって旅行記にまとめた。実体験に基づかない記述もあるが、14世紀前半のイスラーム世界について、おおむね正確で、しかも人間味あふれる情報が伝えられている『三大陸周遊記』の著者として名高い。
イブン・バットゥータ
三大陸大旅行を敢行
アラブの大旅行家。北アフリカのモロッコに生まれた。22歳でメッカ巡礼の旅に出発。エジプト、中東各地、インド、元朝の中国、サハラ砂漠を超えてマリ公国など訪れた。アラビア語旅行文学の傑作とされる『三大陸周遊記』を口述で著した。その行程は10万kmにも及んだ。
世界を踏破した大旅行家
ベルベル人の大旅行家。29年の歳月をかけ、14世紀の前半のイスラーム世界のほぼ全域を踏破した。マリーン朝のスルタンの求めに応じて『都会の新奇さと旅路の異聞に興味をもつ人びとへの贈り物』(通称『三大陸周遊記』ないし『大旅行記』)を著す。
諸地域世界の交流
東西文物の交流
人物の往来
大旅行家の行程地図
イブン・バットゥータは、北アフリカ・モロッコ出身のイスラーム教徒の旅行家である。彼は1325年、22歳の時から約30年間にわたり、アジア各地やアフリカ、スペインにいたる12万キロメートルにおよぶ旅行を敢行し、彼の口述した記録は長く知られなかったが、今日『三大陸周遊記』として名高い。こうした西方人の往来と、それにともなう東方に関する知識の普及によって、ヨーロッパ人の東方に対する関心はしだいにに高まっていった。
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム文明の発展
人と物と知識の交流
イスラーム社会ではアラビア語が公用語として用いられ、また各地の都市を結ぶ交通路の安全が確保されたことによって、人と物の交流はさらに活発となった。
毎年おこなわれるメッカ巡礼(ハッジ)も人の交流を盛んにし、イスラーム文化の統一に大きく貢献した。『コーラン』は貧者や旅人への保護をくりかえし説いているが、たとえばマリーン朝の探検家・イブン・バットゥータ(1304〜1368)が大規模な旅行をすることができたのも、旅人を歓待する社会慣行の賜であった。このような人の移動をつうじて、学問の成果や新しく開発された織物・灌漑の技術などが遠隔の地にすばやく伝えられたことが、イスラーム社会の著しい特徴である。
イブン・バットゥータ
モロッコのタンジールに生まれたベルベル系のアラブ人旅行家。1325年、22歳の時にメッカ巡礼を志して故郷を出発。エジプト・シリアをへてメッカに巡礼したのち、イラク・小アジアを旅して33年から8年あまりインドのデリーに滞在した。ついでスマトラから元朝治下の泉州にいたったが、首都の大都(北京)を訪れたかどうかは不明である。その後、再びスマトラ・シリア・エジプトを経由して、1949年フェスに帰還した。
帰国後、30年あまりにおよぶ体験を口述筆記によって旅行記にまとめた。実体験に基づかない記述もあるが、14世紀前半のイスラーム世界について、おおむね正確で、しかも人間味あふれる情報が伝えられている。
インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
デリーのムスリム政権
デリーの諸王朝は大量の貨幣を発行したことでも知られる。海上貿易ではムスリム商人の活躍が目立った。彼らはインド沿岸の港を中継基地とし、西アジアと東南アジア、中国とを結ぶ開城の道を往来した。大旅行家のイブン・バットゥータがインドを訪れその繁栄の模様を記したのはトゥグルク朝の時代である。
内陸アジア世界の変遷
モンゴル民族の発展
東西文化の交流と元代の文化
『三大陸周遊記』を著したモロッコ出身のイスラーム教徒旅行家イブン・バットゥータも、インドから東南アジアを経由して元朝末期の中国を訪れている。