靖難の役 A.D.1399〜A.D.1402
靖難の役(靖難の変)とは、中国明王朝初期の政変、内乱。洪武帝死後の帝位継承の争い。第2代建文帝に対し、北平(後の北京)の叔父燕王朱棣が「君側の奸をのぞいて帝室の難を靖んず」ことを口実に挙兵し、最終的に燕王が勝利し、1402年に永楽帝として即位した。
靖難の役
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靖難の役と永楽帝の治
洪武帝には生涯に26人の男子がいたが、彼らの全てを封じ、国内の重要拠点に配置して諸王とし、明王室の守りとした。これら諸王は、ほとんど実権は持っていなかったが、ただ北辺のモンゴルに対する備えから、北平(のちの北京)など数カ所の諸王には軍事権などを与えていた。
洪武帝は、後継者である皇太子の朱標が死去すると、皇太孫の朱允炆を後継者に定めた。これが建文帝(恵帝 在位1398〜1402)である。即位後、建文帝は側近の意見に従い各地の諸王の権限を削減する諸王抑圧策をとった。これに反抗したのが、当時諸王の中で最大の勢力を誇っていた北平の燕王朱棣である。
燕王は直ちに軍事行動をおこし、甥の建文帝をあやまらせた側近を排除しようと、「君(建文帝)側の奸をのぞいて帝室の難を靖んず」をスローガンに北平で挙兵し(靖難の役 1399〜1402)、金陵を攻略してここで帝位についた(永楽帝 成祖 在位1402〜1424)。