メキシコシティ歴史地区とソチミルコ
メキシコ・シティの建設は、アステカ帝国の都テノチティトランがスペイン人エルナン・コルテスの軍勢に征服され、破壊された1521年に始まった。プレヒスパニックの遺跡と共に、ゴシック、ルネサンス、バロックなどの建築様式が入り交じった大聖堂、宮殿などが、中心部のソロカと呼ばれる憲法広場の周辺に残されいる。
メキシコシティ歴史地区とソチミルコ
アステカ王国の京都の上に築かれた都市
メキシコ・シティは、かつてアステカ王国の都テノチティトランがあった場所に建設された。テノチティトランは、都に浮かぶ美しい水上都市であった。
1521年、スペイン王室はアメリカ大陸の先住民の諸国家を征服するために、スペイン人のコンキスタドール、エルナン・コルテスの軍勢を送り込み、都を徹底的に破壊した。その廃墟の上に新都市メキシコ・シティが建設された。
スペイン人によって「ソカロ」と呼ばれる中央広場を中心に碁盤目状に道路が整備され、「ソカロ」周辺には、ルネサンスやマニュエリスム、バロックなどの建築様式が入り交じった大聖堂をはじめ、パラシオ・ナシオナル(国立宮殿)などが築かれた。アステカ王国の痕跡はほとんど残されていないが、1978年に大聖堂の地下からアステカ時代の石板がみつかり、発掘調査により2連の神殿をもつテンプロ・マヨールの遺構が発見された。
メキシコ・シティの南にある水郷地帯ソチミルコは古くから農業が盛んな地域で、アステカ時代の名残を今に伝えている。「ソチミルコ」は原住民の言葉で「花の野の土地」を意味する。
ギャラリー
国立宮殿 パラシオ・ナシオナル
マニエリスム:イタリアを中心にルネサンス後期にみられる美術や建築の様式。ルネサンス最盛期のミケランジェロなどの手法を取り入れ様式化したもの。
テンプロ・マヨール:アステカ時代に宗教儀式が行われていたとされる中央神殿跡。
メキシコ・シティの南にある水郷地帯ソチミルコは古くから農業が盛んな地域で、アステカ時代の名残を今に伝えている。
「ソチミルコ」は原住民の言葉で「花の野の土地」を意味する。
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