七王国(
A.D.409〜A.D.825)
アングル人・サクソン人・ジュート人はユトランド半島から北ドイツのエルベ川下流域に住んでいた。
5世紀中頃海を渡ってブリタニア南部(イングランド)に侵入し、先住のケルト人を征服して20ばかりの小国家群を形成した。
それらは6世紀末ころまでにイースト=アングリア・ノーサンブリア・マーシア・ウェセックス・サセックス・ウェセックス・ケントの七王国(ヘプターキー)に統合された。
七王国
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ世界の成立
ゲルマン諸国家
アングル人・サクソン人・ジュート人はユトランド半島から北ドイツのエルベ川下流域に住んでいた。
5世紀中頃海を渡ってブリタニア南部(イングランド)に侵入し、先住のケルト人を征服して20ばかりの小国家群を形成した。
それらは6世紀末ころまでにイースト=アングリア・ノーサンブリア・マーシア・ウェセックス・サセックス・ウェセックス・ケントの七王国(ヘプターキー)に統合された。
七王国
この王国たちが覇を競った時代は、ホノリウス帝がブリタンニアを放棄してから(409年)、ウェセックスのエグバート王がカレドニアを除くブリテン島を統一するまで(825年)、と考えられている。実際にアングロ・サクソン人が建国した王国は7つのみではなく、多数の群小のアングロ・サクソン人および先住のブリトン人の小国家群とともに林立したが、次第にその中で有力な国家が周囲の小国を併呑して覇権を広げていった。7つという王国の数は、これらの覇権を広げた有力な国を、後世7つの大国に代表させたものである。この王国群の中から後のイングランドが形成され、その領土は「アングル人の土地」という意味で「イングランド」と呼ばれることとなる。
- ノーサンブリア王国: (635〜954)イングランド北東部を支配したアングル人の王国。
- マーシア王国: (527〜918)イングランド中央部を支配した。7世紀ごろ勢力を誇ったアングル人の王国。
- イースト・アングリア王国: (527〜825)イングランド南東部イースト・アングリア地方、現在のノーフォーク、サフォーク周辺を支配したアングル人の王国。
- エセックス王国: (527〜825)イングランド南東部を支配したサクソン人の王国、現在のエセックス、ハートフォードシャー、ミドルセックス周辺を支配した。
- ウェセックス王国: (6世紀〜1016)イングランド南西部を支配したサクソン人の王国、最終的にドーセット、ハンプシャー周辺を中心に王国として形成されたが、前期の支配区域は最も北部であった。
- ケント王国: (455〜871)イングランド南東部、現在のケント周辺に形成されたジュート人の王国。最も早い時期にローマ系キリスト教を受け入れた地域である。
- サセックス王国: (477〜825)イングランド南部を支配したサクソン人の王国、現在のサリー、イースト・サセックス、ウェスト・サセックス周辺を支配した。
参考 Wikipedia